大江健三郎のインタビュー記事

 今朝の読売新聞の大江健三郎のインタビューから発言を抜粋。

 《『水死』の父親は大江氏の父の実像とはすっかり違う。にもかかわらず「真実」の匂いがじつに濃い。
 大江氏は「実際の出来事をいくら書いても、もはや本当の僕の歴史ではありません。私はこんなふうに生きてきました──そう幾度も語り変え続けた自伝が、本当の自伝であるはずはない」。同時にこうも語る。
 「そうやって、自分の作品全体で再構成するように生き方を作り、偽りの自伝を生きるのが小説家の運命。最初に書いた小説から、一貫した脈絡は現在まで続く。それが僕の人生でした」
 ならば、大江健三郎は、すでに長江古義人なのか。
 「そうです。小説家として生きることは、その時代がその人間に集結すること。『こころ』の先生が明らかに漱石であるように、やはりこの時代の精神が、一人の小説家・長江古義人を走り回らせているんです」》

 大江健三郎の小説は、ずっと前にデビュー作から『懐かしい年への手紙』くらいまでの作品を追いかけて読んでいて、でもある時期パタっと読まなくなってしまって、以来それきりになっている。こういう記事を読んだらもう一度彼の小説を一から読み返してみるのもいいかもしれないなと思った。《ならば、大江健三郎は、すでに長江古義人なのか。》という下世話すれすれの記者の誘導尋問っぽい問いかけに対して、大江健三郎は《そうです。》とはっきり答えている。これは記者の質問に対して単純にイエスと答えた恰好だけなのかもしんないけど、でも大江健三郎はそこで、「長江古義人は私である」とモデルを暴露するようにスキャンダラスで釈明的な別の答えを用意することもできた。でもそうはしなかった。そうじゃなくて彼は、《大江健三郎は、すでに長江古義人なのか。》というその問いかけに対して、まさに、《そうです。》と答えた。つまり、「大江健三郎は長江古義人である」と、まさにそのように答えたんだと思う。「長江古義人は私である」と「私は長江古義人である」との差異は見かけほど小さくないと思う。うまく説明できないけど、この差はとてつもなくでかいと思う。そして、そういうことばの選び方をする作家の作品ならば(それが無意識であったんならなおさら)、取っ掛かりとしてこれは信頼してもよいものなんじゃないか、とも思う。

 明けましておめでとうございます。