ブノワ・ペータース=作/フランソワ・スクイテン=画『闇の国々II』

闇の国々II (ShoPro Books)

闇の国々II (ShoPro Books)

 今週は、ブノワ・ペータースとフランソワ・スクイテンの『闇の国々II』を楽しんだり、三、四日かけてそれを読み終えると、今度は福田和也の新書(『病気と日本文学』)を読み始めてみたり。寒さが堪える季節になってきたけど、家に帰ってあったかい湯船に浸かって外で冷えきった体を温めなおし、その後寝る前までの短い時間を、すでに兆し始めた眠気にうつらうつらしながらベッドの中で好きなマンガや本を読みんでのんびり過ごすのがなんともいえず嬉しい。たとえば、賑やかな場所の近くでその賑やかさを傍目で眺めながら、しかし一人でそこにおける場違いな気分、居場所のない気分にひたってるというような、この相反する感覚の一挙両取りみたいな感じ、どうにも抜きがたい根っこからの部外者気質みたいな感じが何故だか知らないけど昔からなんとなく好きで(好きというより身に染みついた止みがたい習癖か、あるいは生まれながらの本性みたいなもので)、それと同じように、身震いするような寒さを感じながらあったかさに身をくるみつつホクホクガクガクするっていう、この季節ならではの重ね着されたややこしい喜びみたいなものがある。
 『闇の国々』は全四巻でのシリーズ出版がとうとう決定したみたいでこれもまた喜ばしい。巻末の作品リストにタイトルのあがっている本編12作のエピソードすべては順次これを翻訳してもらえるものだと勝手に判断して、気がかりは残りの番外編だけど、これらも少なくともDVDとかCD以外の書籍形態の作品にかんしてはラインナップしてもらえることになるんだろうか。そこらへんは是非とも期待したい。
 この巻ではその番外編のひとつとして『古文書官』という作品が掲載されていて、これは「闇の国々」の世界に存在する建造物や景勝を描くイラスト集をかねた劇物語っぽい作りの作品になっている。物語の体裁として、作品の読者である私たちが住む世界のどこかにあるらしいとある資料館に所属する一人の研究員が、そこで都市伝説めいたうわさになっている「闇の国々」にまつわる資料を収集しまとめあげて、この研究成果の抜粋という形でいちいちの図版を紹介しつつ、同時に、傍らで彼の身辺で進行する事態の推移を背景的に描いていく、というような構成になっている。カラーで再現された一枚絵のイラストはどれもきれいで見ていてとても楽しい気分になるし、脚注とあわせて「闇の国々」の地図を参照しながらあれこれ想像するのも楽しい(「中つ国の地図とか眺めるの好きなひとー」「ハーイ!」みたいな感じ、わかるかしら? この気持ち、伝わるかしら?)。
 『古文書官』を読んでいてちょっと面白いと思ったのは、この「作品の現実」と「物語の虚構」の関係のなかでの語りの構成と、その語りと「図版」との関係のあり方といったもので、現実にこうして描かれて読まれているペータースとスクイテンによるBD作品『闇の国々』のなかに、「闇の国々」という虚構によって現実として築かれた場所が描かれており、その世界のリアリティをぐらつかせるような語りの介入、作品の現実性(『闇の国々』)と虚構の世界(「闇の国々」)の現実性とのはざまで虚構性がじんわり滲み出て広がってゆくかのような語りの操作的な介入、そういうようなものとして、この番外編的作品『古文書官』は、シリーズ『闇の国々』の全体像に差し挟まれているという感覚がある。……上手く説明できなくていまいち伝わらないような気がするな。読んでもらえれば一発で了解してもらえるはずなんだけど、直感的には、一冊の書物とそのページの余白に書き込まれた誰かの注釈とか、あるいは差し挟まれた別紙による無数のメモなんかが込みで、一冊の書物がその書物それ自体の物理的な外延を超えてるものとして書物の全体を構成している、というような感じがある。つねに一冊の書物としての統一性に対する余剰が発生しながら全体が嵩張っていく書物、というような感じ(たとえば、ミシェル・ビュトールの『時間割』が語りの構造のなかでせっせと産み出していたような、例の進行形で嵩張り続ける日記の紙片の束にも似たような感じ、というとわかりやすいかも。どうだろ?)。その感覚はいわゆるベタなメタフィクションという感じともちょっと違っている。放射的な方向で伸縮するような同心円状の範囲内で、語りや語られる登場人物の活動が越境的に演じられるという感じなのでもなくて、物語のなかで語られる虚構の世界「闇の国々」と作品『闇の国々』との隙間をどんどん縮めていく、紙一枚の厚みをその半分に、そのまた一枚をさらに半分に、というような縮減的な方向で、物語と現実との明確な境をしだいに剥がしていく、活動や運動の余地をどんどん削り取っていく、というような無時間的なものへの接近みたいな感覚が際立っているようにも感じる。その無時間的な場所なき場所のような広がりこそが、作品の現実性と物語の虚構性とのあいだの閾のようなイメージの発生と消失の場になっていて、その運動と空間のほとんどゼロ度に近いかのようにも思える極薄の場を境に、そこをくぐって、出来事やそれを語りうるものとして語ることがはじめて可能になる、というような感じもする。おそらくそのような訳合いで、紙一枚分の厚み以下の理念的空白における閾の場みたいなものが『古文書官』の最後に現れてくることになるし、人物はそこ(肖像画として一枚の紙切れに描かれた自分自身の似姿、あるいは通路の先に描かれる、物的な存在の通行に限ってこれを拒絶するかに見えるトロンプルイユによる扉、絶対的な、表象の内容をもたない表象性そのものの現われの場のような限界線)、そのそこに、イメージの生成と消滅との通気の瞬間を見出すことになる、という気もする。そんな感じで、『古文書官』という短い作品は『闇の国々』全篇にとっての理念的な縮図みたいなものとして読むことができるんじゃないかなあと思った。(この巻の目玉は表紙絵にもなってる『ブリュゼル』であるはずで、そっちももちろん面白い。現実のブリュッセルにおける近代都市計画の破綻の歴史をモデルにした空想的作品で、不思議な景色や建物がたくさん出てきてとても興味深く読めた。巻頭の『サマリスの壁』も、ポーの「群集の人」とかカフカの「掟の門」、あるいは『城』みたいな筋立てが面白い作品だし、もう一作、『パーリの秘密』は、『ブリュゼル』でのブリュッセル同様、架空化されたパリの真下、真裏に貼りつくもうひとつのパリを描こうとする野心的な「失敗作」で、残念ながらそれはいくつかの断片のまま作家によって放置されたままになってしまってるけど、完成してればきっと面白いものに仕上がってたはずだと惜しまれるような作品になってる。ともあれ、1巻に続いてこの2巻も外れなしの秀作傑作ぞろいといっていい)。

 
 先週今週とyoutubeで毎晩視聴していた動画。はてなのホットエントリーにあがってきていて、それきっかけで知ることのできたDragon houseというダンスチームの映像。これはかっこよすぎた。最近は彼らの映像をいろいろ漁ってるけど軒並みかっこいいし楽しい。

 選曲も抜群にすぐれてる。ダブステップって音楽ははじめて聴いたんだけどこれはめちゃくちゃかっこいいなあ。震える。音楽もいいし、最初に踊る青いトレーナーの人はnonstopってニックネームの人で、この人がやっぱり一番かっこいい。次の赤いパーカーの人も楽しそうに踊ってて好感がもてる(iGrideって呼び名らしい)。ダンス知らないけど全員うまいなあ。ほれぼれする。

 「ノンストップ」と「iグライド」に、もう一人「チビ(chibi)」という人が参加して「リモートコントロール」というユニットをやってる。

 「チビ」の人(ブライアン・ゲイナーって本名らしい)を見てからは、この人を気にしながら動画を探すようになった。インタビュー映像もどこかにあるんだけどそれを見ると、哲学者みたいな聡明な顔立ちをしている、とても落ち着いた人だってことがわかるよ。笑顔が素敵だ(個人的におすすめは「dragon house vs animation」みたいな検索で出てくる別のチームとのバトルの映像で、そこでの「チビ」の、挑発してきた相手との応酬の場面はほんと震えた。是非検索してみてください。chibi guns down!!!)。

 とてもゆっくりと体をコントロールしていて、そこがいい。素早くダンスする人はたくさんいるだろうけど、こんなふうにゆっくり的確に身体と向き合いながら体を運んでいく方が素人目には見ごたえがある感じがする。遅く動けば遅いほど時間そのものが彼らの身体に宿っているようにまざまざと感じられる。不思議だ。踊っている人間の筋肉の動きだとか神経の張りつめみたいなものより先に、眼に映る可視的な表面でしぐさや姿勢にたくわえられた時間があたかも物質化されてるようにも感じられる。
 あとここには、ダンスする身体によって空間を背景にして音楽からこうむる影響を表現へと解釈するような、ある種の意味作用的な効果が、振動する象形文字みたいな謎めいた記号の連続としてもたらす感動があるようにも思われるんだけど(各人で異なるその身体固有の限界が各人で異なる言語的質感みたいな視覚的記号をもたらすだろうけど)、音楽とともにある身体とか、あるいは別のものといっしょにある他の或るもの、みたいに捉えなおすとき、これほど豊かな協働性はちょっとなかなかお目にかかれないなと痛感する。たとえば小説やマンガといった作品とともにある感想の言葉なんかも、こんなふうに相手と対話しながら何かを引き出しつつ、新しい別の何かを傍らに産み出すことが出来るとするなら嬉しいだろうなと感じる。恋する表現者たちによる、相互にバラバラのままでいることのできる連帯、みたいなもの。