スプーン持参の超能力者、暖簾をくぐって登場

 今週はカール・アインシュタインの小説『ベビュカン』を難儀しながら読み終えたらすでに一週間が終わっていた。……だいたい終わっていた。本文で100頁ほどの小さな作品なんだけどその分量と釣りあわないくらいの、ちょっとした体力が必要な読書を強いられるような文章だった。そして読み始めた際にすでに予感していたとおり、案の定内容をよく理解できないまま本を閉じるという残念な結果に終わった。おもしろいんだけど、なにがなんだかよくわからないというこの感じ。困った。好きか嫌いかでいえばはばかりなく大好きと公言してしまえるくらいにおもしろかった作品なんだけど。訳者の鈴木芳子さんという方が作品の解題で「キュビスム文学」という評しかたをしていて、キュビスムっていわれても教養がないので通俗的にはびこっているイメージ以上のものとしてはまったく了解できないんだけれど、なるほどそういうものなのかもなとも思う。相互に異質なイメージを反映する復元困難なまでに散乱した鏡の破片みたいな言葉たちが集まって一篇を形づくっていて、確かにそこにわけもわからず魅了される感じはある(カフカの断片集を読んでいるときに感じるような感触。イメージのはっきりした継ぎ目が見えてくるような、やっぱり見えないような、読んでいてもどかしくなってくるようなあの言葉の連なりのもたらす感じに近いようにも思った)。主人公のベビュカンが作中で何度か、「新しい人間」とか「新種の人間の誕生」というようなことを口にするんだけど、そういうものの文学的なビジョンといったものを目眩をもたらすような煌びやかで暗くもある色彩で描く作品としてざっくり了解し、ここはお茶を濁そうかなと思ってる。お茶、濁さざるをえない。芸術の産み出す破裂的で異例のフォルムの産出と現実主義的な事実性や合法則性のまどろむ通例的な世界との衝突、とか、死とか罪とかいった限界に憑依されている生が世界に描きだす特異な形態の追求、とかいった点を了解しておいて、ここはやりすごす(……どうでもいいはなしだけど、ニコラ・ド・クレシーが『ベビュカン』を原作にコミックを描いたらすごくおもしろそうだなと思った。そういうの見てみたい)。カール・アインシュタインには『ベビュカン』、『二十世紀の芸術』のほかにも邦訳にあと一冊、『黒人彫刻』という本があるらしいので、それも来月あたり手に入れてみたいと思う。そういや『ベビュカン』も含め以上3冊とも未知谷という出版社から刊行されていて、付属の刊行案内の目録を眺めていたらジョルジュ・ブラックについての研究書の紹介文が目をひいた。ブラックといえば以前読んでさっぱりわからなかったグリーンバーグの本にも名前が出ていて個人的に気になっていた人物だ。図版も豊富らしいし、この本にも興味が湧いている。いっちょいっとこう。




 ダブステップ・カウボーイ。別名chibi。すなわち、ブライアン・ゲイナー。

 やさぐれた演技がめちゃくちゃかっこいい。アウトローすぎる。