スタンダールとミメーシスの三種の運命

 『アンリ・ブリュラールの生涯』を読み終える。
 作家スタンダールと私人アンリ・ベールとを隔てて相互に適切な(お互いにとって安全な)距離をもうけたうえで、そこから十全に、安んじて回想録を記述することが可能となるような純粋な測量地点、そんな神のもののような視座なんかがあるわけないってことは作家もよく心得ていて、そこで、これを読む私たちもまた彼の記述が座礁しかかるたびに、描かれる場面の齟齬やイメージの欠落、記憶の書き換えへの不安みたいなさまざまな筆記の動揺を、スタンダールといっしょに体験することになる。ここがいちばん魅力的だと感じる(というか、すごく素朴に読んでも、語られるエピソードの数々をとおして、少年アンリのその潔癖で不器用な生き方や人柄なんかを感情移入の水準で愛さざるをえないjk。友だちになりたい。友だちになって辛口の人物評をいただきたい)。書く主体としての私(スタンダール)と書かれる対象としての私(アンリ・ベール)は、それぞれ(ジュネットっぽく)、ディクションとフィクションの区別に対応させることができるかもしれない。語りと虚構、語ることとその形式の協約のなかで仮構されるヴァーチュアルな構築物、みたいな。操作子が記述の透明な(透明であるべき)鏡に細かなひび割れを次々に生じさせてしまって操作主体の営みをえんえんと撹乱させていくという、回想録のまっとうなおもしろさがある。《しかし、困ったことだ! 誰がこんなものを読むか! なんという訳のわからぬ文章だ! ここで、私の話にもどることができようか? 読者はいま一八00年の一狂人の社会への門出のことを読んでいるのか、あるいは五十三歳の男の冷静な回想を読んでいるのか、わかるだろうか?》。ところでスタンダールは、みずからの書くことの不可能を巡ってそれを鏡の比喩をつかって語るというようなことはしていない。そこでスタンダールのイメージを占めているのは、絵画とか古い壁画の、ある全体像だ。幼年時代の記憶と記述の現在との隔たりのなかで、なにもかもが、鮮やかで、しかし肝心の部分がところどころで剥落してしまっている不完全な絵の全体像として作家にイメージされている。絵画としてのミメーシス理解の一例。《翌朝ダリュ伯爵にならんで歩いて行った──私はこの人を尊敬していたが、恐ろしくてついに親しみえず、彼も私に親しまなかったようだが──当時きわめて狭かったイルラン・ベルラン街に沿って歩いて行く自分が目にうかぶ。だが、私たちがいっしょに行った陸軍省はどのあたりにあったのだろう? 私の目にうかぶのは、HかH'のところの自分の席にいる私の姿だけである。》。こういうような、模倣とか再現の失敗した(未完成にとどまった)絵画としてのミメーシスになぞらえることが可能な描写とイメージのでこぼこした関係の記述は、この回想録の文章のなかにたくさん見出すことができる。プラトンのミメーシス理解にならうなら、そこでのスタンダールの有りさまは、「真実(実在)という王から遠ざかること第三番目に生まれついた素性の者」(模倣家)の、魅力的で無意識的な、19世紀の新たな失敗者みたいなものとして見ることができるかもしれない。言ってみればこの種の再現の失敗は、イメージの空白が健忘というかたちで神経生理学的に、即物的に作家に余儀なくさせるものであって、模倣家のおのれのディスクールにおける不可避の無能力に対する真率さ、偽善の無さを証明しているだけとも見れるし、だからそれじたいは、たんに誇ってよい美徳としてある。同じような記述の不可能をスタンダールに強いる場面にはもうひとつのタイプがあって、それはこの回想録の早すぎる結末のくだり、彼のいわゆる「完全な幸福」のピークに集中的に見ることができるだろう。1800年、ナポレオンのイタリア遠征軍に従軍した17歳の一仕官候補生がミラノへと辿りつく。《ここで、狂人(きちがい)じみた完全な幸福の一時期がくる。この時期のことを語るとなると、私はきっととりとめもないしゃべりかたになりそうだ。おそらくいままでの線をまもって、それを出ないほうがよいだろう。》、《私は、一八三六年になってほとんどはじめて発見した当時の実状を物語りたくない。しかし一方、一八00年に自分にとってどんなであったかを書くことができない。(……)読者はかつて狂気のごとく恋したことがあるか?  生涯でもっとも愛した情人と一夜をすごす幸運をもったことがあるか? まったく私はつづけられない。題材が語る者の力を超えているのだ。》。ここではイメージや幸福の感情の過剰な湧出が、スタンダールの書記行為におけるイメージの正確な輪郭線を露光過多によりホワイトアウトさせるほどの熱量で圧倒し、蒸発させてしまっているだろう。それらを紙のうえに定着させようとするなら技巧的で演出過剰な「小説(ロマン)」(通俗的な意味でのたんなるフィクション、作りごと)にしかならないことを深く自覚するスタンダールは、もちろんそれを回避して、(ある瞬間においては)書けない作家であるという事実だけを書くことにより、相対的には倫理的な振る舞いを、当面演じざるをえないことに甘んじる。つまりたぶん、ミメーシスにおけるイメージの欠落と過剰というふたつの危なっかしい事態を積極的に引き受けるその倫理的な姿勢において、スタンダールは、近代において書くということは何かという問題構成を巡る文学史の系譜に、わりと収まりよく位置づけられることができるのかもしれない(ここ、書いてて自分でも何がなんだかよくわかっていない)。
 ……別の注目点はありうるだろうか。たとえば、「第四十四章 サン-ベルナール峠」のくだりを読みなおしてみる。アルプス山中の厳しい寒さと馬を寄せつけない険しい難所、敵の砲撃の音も間近に響きわたるその危険な場所で、またしても、スタンダールは記述の拠りどころを失っている。《臆病と感覚のはげしさが、記憶をまったく殺してしまったのだ》。しかしここには、記憶の空白やイメージの過剰とは別の事態をもたらすミメーシスのもうひとつの専制様式のようなものが現われている。長めの引用はじまるよ。
 (サン-ベルナール峠の拠点にて)《私たちは小屋のなかにはいったように思われる。あるいは、この《宿泊所》の内部のことは、人から聞いた話の印象がのこり、三十六年以来、それが現実にかわっているのだ。この真実の回想を三ヶ月前に書こうと考えてから、こういうところに嘘を書きそうな危険を感じる。たとえば、私は山からの下りのことをたいへんよくおぼえている。しかし、五、六年後にたいへんよく似た版画を見たことを隠したくない。したがって、私の記憶はその版画にすぎなくなっているのかもしれない。旅行中に見た良い絵画の版画を買うことの危険はここにある。やがて版画は記憶全体を形づくり、真の記憶を破壊してしまう。ドレスデンのサン-シストの『聖母』の場合、私はそれを経験した。ミュラーの美しい版画が真の記憶をなくしてしまったのに、ドレスデンの同じ画廊にあるメングスのつまらぬパステル画は、どこでもその版画を見なかったために、完全に記憶している。》。
 ベンヤミンの議論なんかはすっかり忘れちゃってるけど、似たような事態が警告されようとしているんだろうか。わからないから触れずにおく。それはともかく、ここで確認されているのは、「ドン・キホーテ」的なミメーシスのミメーシス(「騎士道物語を模倣する冒険、を模倣する書物の模倣の冒険」とか「現実の風景を再現する絵画を再現する版画」)というような累乗されるメタっぽい構造の話ではなくて、語る私のディクションと語られる私のフィクションのあいだでミメーシスの逆流が起りうるということなんじゃないかと思う。端的に言うなら、「私」がイメージ能力によって場合によってうまくいったりいかなかったりする絵画や表象物をこしらえるという話なんかではなくて、むしろ逆に、絵画や版画や「人から聞いた話」のような外部のイメージこそが「私」をすでに一個のミメーシスとしてこしらえてしまうということなんじゃないかと思う。
 ……もう疲れたし、議論を検証する能力もないんであとは箇条書きで言いっ放してしまうけど(毎度のことです)、スタンダールにとってのイメージの外にある表象物の最たるものとはアルファベットやエクリチュールではなかったか(砂の上にステッキで刻まれる恋人たちのイニシャルやB.R.U.L.A.R.D.の綴り文字)、また、ナイフや祖父のステッキ、釣り針や釣り糸、猟銃への偏愛にはペン先の鋭さへの感受性が一片も潜んでいはしなかったか、そこから、エクリチュールこそがスタンダールの「私」を絵画や模倣として再生産しつづけていることの、最大限の危険と幸福をうらなう燃料学のようなものを描くことができるんじゃないか、等々。
 よいお年を。To the happy few.