ジュネ『泥棒日記』

 ジュネの『泥棒日記』を飾る多彩な挿話の数々の中から一点だけ、特に印象に残った作家による一連の叙述。
 ジュネは彼のベルギー時代の思い出として、そこで深く交わることになったアルマンという名の一人の屈強な悪党に関して並々ならぬ情熱とこだわりをこめてその記述の一部を捧げている(ジュネの生きる悪の世界における英雄みたいな人物であり、同時に、広がりつづけるその世界の無際限な外延そのものの生ける里程標であり、また悪の倫理をその肉体に体現するものでもあるような、そんなイメージの象徴的形象を形づくる男たちのうちの一人)。若いジュネ(「ジャン」)はある時、彼にとってなかば偶像と化していたその男の、それまで知られることのなかった過去にまつわる真相の一端に触れてひどく衝撃を受ける。剛毅さ豪放さ荒々しさで知られたこの悪党が、ある時期、ご婦人向けの繊細な「紙のレース」をひさいで糊口をしのいでいたという噂を伝え聞く。《ある晩、ふとした不注意きわまる会話から、我々は、アルマンが、食うために、マルセイユからブリュッセルまで、町から町へ、キャフェーからキャフェーへと、客の前で紙のレースを切り抜きながら歩いたということを知った。(……)彼(「波止場の荷揚人」)は、一挺の鋏と折りたたんだ紙片から作りだされた、繊巧な出来ばえのナフキンやハンケチなどについて、じつに自然に語った。「おれは、この眼で、奴さんが、あのアルマンが、お得意の芸当をやるとこを見たんだぜ」 岩のような、落着きはらったわたしの支配者が、女のする手仕事を遂行するところを想像して、わたしは感動した。どんな滑稽な姿もわたしの支配者としての彼を侵すことはできなかった》。屈強な男が行う《女のする手仕事》といったもののアンバランスなイメージにつきまとう滑稽な女々しさのような印象そのことが問題となっているのではないし、むしろそのイメージは、ジャンの裏返った聖性の世界ではその極度の滑稽さ、恥辱の印象の強烈さによって偶像に対する信仰のさらなる深まりと確信を決定づけるものにこそなる。アルマンの恥辱と惨めさ、滑稽さの印象はこのくだりで、もう一つの鮮やかな対照的イメージによっても際立つことになる。《(……)スティリターノは意地悪げな微小を浮べていた。わたしは彼がアルマンを傷つけるようなことを言いはしないかとおそれた、──果してわたしの考えたとおりになった。スティリターノに言わせれば、彼が信心深い田舎の奥方連を騙すために使った機会編みのレースは高貴さの表徴であり、アルマンに対する彼の優越を示すものだったのだ》。スティリターノはジャンのベルギー時代以前からの(アルマンとは別の)崇拝のもう一人の強力な誘惑的対象であり、アルマンとは異なるスタイルで、つまり卑怯さや怯懦、冷酷さといった陰性の振る舞いにおいて悪と汚辱の世界を代表するもう一つの極性を形づくっている。スティリターノとアルマンとは悪の二つの光源、汚辱の世界の地層を複雑な混和の状態におく極度に対照的な二つの濃度の差異、その分布のまだら模様を形づくるものでもあるように思える。アルマンが《ギュイヤーヌ》、ジュネにおける汚辱の信仰のけっして近づき得ない爆心地、徒刑場へと真っ直ぐにおもむこうとする死刑囚のほとんど理念そのものにも等しいまばゆいばかりの姿を現実に体現するような存在であるのに対して、スティリターノの卑怯やそのあまりにも臆病でナイーブな性情は、前者よりかはいっそう、「こちら側」の世界(ジュネの言う《あなた方の世界》)、つまりわたしたち(?)普通の者たちの住む良識と通俗性の支配する、いわゆる「一般社会」といったものに馴染むものであるようにも思われる。悪の世界はアルマンやスティリターノが代表するこのような幾重にも重なり合う混在の相をなすものであり、アルマンの「紙のレース」を切り抜く惨めな姿のイメージは、この光の混和の状態に屈曲にも似たさらなる重しをかけ、これを地下に向かって膨張させようとするものでもあるだろう。《現在、わたしの脳裡に最も頻繁に浮んでくる思い出は、アルマンが──わたしは彼がこの商売をしているところは実際には一度も見たことはないのだが、──料理店で客の坐っているテーブルに近寄っていっては彼の紙のレースを──ヴェニス風といわれる繊細な薔薇形模様に──切り抜いている姿なのである。》
 アルマンとスティリターノの屈折的な対照は、作品の末尾付近でもう一度、やはりこの同じ「紙のレース」のイメージを重要な背景にして、ジュネの筆によって描かれる。

この二人(アルマンとスティリターノ)が商売道具として使った二種のレースの性質の相違はこの点でも非常に意味深い。スティリターノが勇敢にもアルマンのその才能について嘲笑的な言葉を口にしたとき、アルマンはすぐには憤りださなかった。彼は怒りを抑えていたのだと思う。(……)彼は平然とした態度で煙草を吸いつづけていたが、少ししてから言った。
 「お前さん、おれのことを阿呆だと思ってるんじゃねえのか?」
 「そんなことは言やあしないぜ」
 「そりゃわかってるさ」
 彼は、何かほかのことを考えているような眼つきで、また煙草を吸いはじめた。わたしはそのとき、アルマンがこれまでに味わわされた無念な思い──それは疑いもなく数多かったことだろう──の一つを目のあたりに見たのだった。

 《レース仕事》の習得の過程やそれを商う姿は、屈強な男、頑健な肉体を誇り精神の倨傲をみずからたのむ一人の英雄的人物である男を、《虚弱者》か《幼い子供》のような惨めなシルエットの下に貶める。(《人は幼い子供には紙以外の物質を持たせないものだ。》)。そして、彼によって切り抜かれたこの「紙のレース」それ自体もまた、男の姿に相応しく、彼同様に、無様で稚拙な制作物であることをまぬかれなかったかもしれない、と作家はイメージする。いや、あるいはまたそうではない例外の場合についての可能な想念。

 わたしは後になって、アルマンの部厚い掌や指を思い出して、そのような手から生れた紙レースはきっとぶざまな出来ばえだったにちがいないと思った。(……)もっとも彼がそれを徒刑場か刑務所かで習得したのなら話は別だ。徒刑囚たちの器用さまったく驚くべきものなのだ。彼らの罪を犯した指の中から、ときどき、マッチ棒の切れはしとか、ボール紙や紐の切れはし、その他なんでもいい、ごくつまらないものの切れはしを材料として、実に精巧、繊細な傑作が、現われ出る。そして彼らがそれについていだく誇りは、この材料と傑作の両方の性質を兼ね備えている。すなわち、それは微賎で、そしてこわれやすいのだ。往々、参観者がやって来て、たとえば胡桃を細工して作ったインク壷を見て、偉いもんだと言って徒刑囚たちを賞めるのである。猿や犬を賞めてやるように、そのじつに狡智に富んだ詐術に驚きながら。

 地獄の底から拾ってきた汚醜に塗れたがらくたのようなこれらの切れはし、材料、マチエール、そのような汚穢の素材から作られた「徒刑囚」たちの手からなるこの制作物こそが、端的に「作品」と呼ばれるものだと思う。《狡智》と《詐術》に富んだこの驚くべき物品たち、彼岸から拾われてきた聖なる遺物のかけらか奉納物のようにして彼らの手から魔法のようにして生れ出るもの、この「紙のレース」こそが、すなわち真の意味で「作品」と呼ばれるものとなるはずなんじゃないだろうか。人はそれを珍奇で滑稽な物品として嘲笑うか、《猿や犬》を愛撫するようにして片手間に賞賛しもするだろうけれど、そんなことはもはやこの表現する「徒刑囚」たちとっては何も関係のない話だ。《あなた方の住む世界》とは、本質的には、何も関係がない話だ。しかしおそらく、作品は《あなた方》を拒まない。それら地獄の制作物をほんとうに拒んでいるのは、《あなた方》の態度にこそあるだろう。自分が本質的な「徒刑囚」であることを忘れて、あたかも《あなた方》の住む世界とそうでない世界の二つの区画がこの世に存在するかのように偽の境界線を引いて、その砦の壁の背後に安住したつもりになっている、そのような《あなた方》こそが、「作品」を、自分とは縁のない、どこか余所に存在していてぶらっと散歩がてらに余暇かたまの気晴らしのタネとして覗きに行き安心して再び帰ってこれる、そんな、自分の居場所とは別の場所にある付属物、レジャーか何かとして、拒みつつも余裕綽々で堪能するだろう。「作品」とは「徒刑囚」の表現による制作物以外のなにものでもないはずだ。つまりわたしたちのすべてが一人残らずことごとく潜在的に「作品」の制作者であり、そうして滲みか傷口として産み出されるこの各自めいめいの制作物の虜囚であるべきだろうと、そう思う。嵐のような轟きの声は、そのまぎれもない事実を告げるものであるだろう。

 「もしお前が、人間はなんでもわけなく覚えられるもんだと思っているとしたら、お前は大馬鹿野郎だぞ」
 アルマンが使った言葉はこれとそっくり同じではなかったかもしれないが、そのときの彼の声の調子はいまだに忘れられない。あの比類ない声が、音を忍ばせて、咆哮したのだった。嵐が、軽い指先で世界一精巧な声帯を叩いて、轟いたのだった。アルマンが、相変わらず煙草を吹かしながら起ちあがった。
 「行くとしよう」彼が言った。
 「行くとしよう」

泥棒日記 (新潮文庫)

泥棒日記 (新潮文庫)