脱法おじさん(抜け忍)

 ……ドゥルーズの『シネマ2』を読み始めたのはいいんだけどちんぷんかんぷんでジュネの『泥棒日記』に寄り道。しかしこっちはこっちでドゥルーズとはまた違った意味ですごく濃密な文章が繰り広げられてて、やっぱりはかどらない。放心しながら複数の書物のあいだを右往左往してたら、一週間が終わっていた。うまくいかない週だったな。
 ジュネの小説は、以前に戯曲集の『バルコン』を読んでその直後くらいに『花のノートルダム』を読んでおり、感想はここに残せなかったけれどその際にちょっと面白いと感じた箇所があったはずだった(もう細かいところは忘れてしまってるけど、留置所の囚人が作る無数の小さな人形に代表されるような、空っぽの容器としての形態をもつさまざまなオブジェとその壊れやすさといったものに目が引かれたという記憶がある。)。今読んでる『泥棒日記』はだからジュネの小説を読む2冊目ってことになる。まだ半分も進んでいないけど。
 ジュネはこの作品を泥棒と売淫と放浪に捧げられた彼の修行時代についての、後年からによる回想として綴っている、とそんな理解で正しいのかどうか。ひょっとしたらここで書かれていることの一から十までまったくのでっち上げなのかもしれないけど、そこらへんは訳者の解説を読んで後からちゃんと確認しておかなきゃならない。今はとりあえずは、作者の生きた過去の経験においてかつて実際に起こった出来事とその記憶にもとづく回想がここで語られているものだと了解しておいて、しかしそこにしばしば、たいへん煌びやかな、読んでいても惚れ惚れするようなメタファーの数々が主人公の行動だとか出来事が叙述される際にこれらの文を豪奢に彩っているってところに興味をおぼえる。レトリック、文飾、文字どおりに文を着飾らせるもの、メタファー、ありもしないものによってそこにあったものを肩代わりし表現するもの──、修辞的なそんなような言葉の特質と現実の出来事との関係みたいなものがおもしろいなと感じる。「かつてあった」ものという時間の中での独特な身分をもつかぎりで、過去の出来事は、原稿の前での作家の記述行為が貫く現在にとって無とよく似た何かではあるんだろうけど、当然ながらその出来事は無そのものとはまったく違う何かでもある。それを記憶とか想起とかって言ってもいいのかもしれないけど、するとちょっと難しい話の領域に踏み込んじゃいそうで怖いからそれは回避しとく(ベルクソン怖い。おまんじゅう怖い的な意味でではなく、ほんとによく理解できないからその話題からは全力で逃げる)。要するにこの無とよく似てはいるけど無とは異なるものの文に対する役割とは、潜在的なものが作家の文体の上で読める言葉として現れるための媒質みたいなものとして働くんじゃないだろうか、とか思う。レトリック、フィギュール(文彩)といったものは、その無とよく似たものがまとう重ね着された羅紗の舞台衣裳みたいなもんなんじゃないだろうか。ただしこのレトリックの重ね着の下には、それが幾重もの幻惑的な効果において隠しているといつでも期待されるような核心の部分、素裸の充実した身体みたいな、衣裳の対応物でもあるような実体的な側面は存在しないようにも思われる(その「無とよく似ている」という性格の側面において)。でも同時に、それは潜在的なものが文体の上で実現する言葉の身なりのレベルで、移行する作家の筆の動きの先々でその都度新たな別の眺めを描写にもたらすというイメージの効果こそが問題となる水準において、間違った歪像を次々に産み出す何かでもあるんじゃないか。(その「無そのものとは違う何か」という性格において)。無とよく似ているけど無とは違う何かとうまく付きあうには、その間違った歪んだ姿、誤った衣裳選択にどこまでも付き従うしかない。その意味では、「正しく歪んだイメージ」といったものがあるんじゃないかと思う。訂正とか矯正とか添削の対象とはけっしてならない、「正確に」歪んだレトリック、「正確に」歪んだイメージといったものを作家はここで掴んでいるんじゃなかろうか。そして生産される言葉をその都度歪ませるこの力のことをたとえば簡潔に「描写」と呼べばよい、とも思う(ディディ=ユベルマンが『イメージの前で』なんかで使用する場合の同じ語彙とはまったく違った内包をそこに含ませたい。美術史家や絵画にとっては「描写」は乗り越えてなんぼみたいなところもあるんだろうけど、小説の言葉を読み続けたい人間にとっては「描写」の問題は乗り越えの対象なんかじゃなくて、まったく逆に、そこですべての問題が発生するしついにそこへと帰ってくる、そんなような最大限度の問題の領域でもあるように思う)。
 ……『泥棒日記』の作品としての全体像とはまったく関係のない話だけど、今のところそんなことをちょっと考えつつ読書している。読み終えるにはまだもうちょっとかかりそうだ。

 
 最近よくiPodで見ているPV。きゃりーぱみゅぱみゅの「CANDY CANDY」。
 

 
 これは楽曲もご機嫌だけど、バックのダンサーがすごくいいなあって思う。道化役を演じてる男性ダンサーもめちゃくちゃかっこいいけど、やっぱり4人組の女の子たちが可愛くてかっこいいし見惚れてしまう。カワッコイイ。表現する踊り子の血って感じだよな。最近ヒップホップを習い始めたという姪っこにも是非こんくらいかっこいい人になってもらいたい。ムーヴ!ムーヴ!!


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アックスVOL87 特集・本秀康「たのしいマンガ人生」

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時間の前で―美術史とイメージのアナクロニズム (叢書・ウニベルシタス)

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映画を見に行く普通の男―映画の夜と戦争 (エートル叢書)

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