あいかわらずマンガ作りは続いている。ペン入れからベタに仕上げと、アナログでの作業に結局20日以上かかって、ようやくコミックスタジオでの作業が昨日から始まった。ペン入れにはほんと参った。とにかく線がまともに引けない。力んじゃって直線一本まっすぐに引けない。産まれたての小鹿みたいにブルブル震えてたよ。震えて眠るよ。下書き段階の原稿の方がまだマシに見えてしまう。こればっかりは経験と慣れだなあと痛感した。
 アナログでの工程がひと段落ついてあとはコミスタ購入を待つばかりってところで、文章作りの方にも手を回し始めた。下書きを描いてたころから思い始めたんだけど、どうせコピー本にするならせっかく読書感想のブログやってるんだから、マンガのついでにちょっとした文章をあわせて本にするといいんじゃないかって考えていた。20ページ分くらいの文章なら頑張ればなんとか書ける。マンガの30ページにあとがきだとかちょっとしたオマケみたいなページを足せば、それで5,60ページ分くらいの本にはなる。そんだけあれば小冊子くらいの体裁はつくんじゃないか。そう思って「外套」論をでっちあげてみた。それがさっき書きあがったんで、さっそくブログにあげてみることにした次第(推敲してないからたぶん誤字脱字だらけ)。
 気が小さいから本文のなかでもさんざん念押ししてるけど、読めばすぐわかるとおり、渡部直己の「外套」を論じた文章(「「筆耕」たちのさだめ」『私学的、あまりに私学的な』所収)にすごく刺激を受けた文章で、まあ自分で読み返しても、根本的なところではとくに目新しいことも目を引くようなことも書いていない。落穂拾いにくらいにはなってるかなあ、どうかなあ、という感じ。ということで中間報告に代える。
 
写字・外套・幽霊

……かくして、そんな人間は初めから生存しなかったもののように、アカーキイ・アカーキエウィッチの存在はペテルブルグから消失したのである。誰からも庇護を受けず、誰からも尊重されず、誰にも興味を持たれずして、あのありふれた一匹の蠅をさえ見逃さずにピンでとめて顕微鏡下で点検する自然科学者の注意をすら惹かなかった人間──      

ゴーゴリ『外套』
          

 『外套』の主人公であるアカーキイ・アカーキエウィッチの生は反復のいくつかの様態のもとで経験されているだろう。わたしたちはそれを、写字、外套、および幽霊という三つの指標のもとに要約することができると信じている。ここではかんたんにではあるが、それらの指標が取りまとめている反復の諸要素とそれら相互のあいだでの連関の経路をゴーゴリのテキストにそいながら見やすいかたちで摘出してみることにしよう。

写字

 アカーキイの生業であり彼の情熱の対象でもある浄書とは、ゴーゴリの「外套」にあってどのような姿のものとして読まれることになるだろうか。ゴーゴリ「外套」論として書かれ、同時に「筆耕」という特殊な職種の近代小説に対する深い関与を説くすぐれた論考としても読まれる渡部直己の批評文「「筆耕」たちのさだめ」には、草稿と浄書、あるいはオリジナル文とそのコピーとのあいだでの、当然あってしかるべき不均衡がある逆接的事態として指摘されており、本論でもまた、その渡部氏による指摘をまず共有されるべき前提として受け入れることとなる。文書係の本務である清書作業は、草稿と浄書とのあいだでそっくり同じ文章の反復(複写)の二重性の関係を生みだすと同時に、筆跡の技量がもうける仕上がりの巧拙によって、それらのあいだの二重性は転写、複写という同一性ではなく、むしろ両文のあいだのこの差異によってこそ成立することになる、という点こそが渡部氏によって指摘されていたところのものだ。草稿がそれが書かれた時点でこれ以上ないくらいに満足すべき出来であったならば、浄書作業はまったくの不要のものとなるだろう。しかし清書された文じたいは、基本的に草稿の文章を一字一句違えたものであってもならない。二つの文書は逆接的な関係によって、このような同じものと異なるものとの二重性を必然的にかたちづくることになるだろう。繰り返しになるが、この浄書作業の理念的な性格の素描は、それがゴーゴリの『外套』において顕示的には示されてはいないにもかかわらず、渡部氏にしたがいわたしたちも深く同意するところのものである。
 本文章との相違を明らかにするために渡部氏の批評の要点を先取り的に要約しておけば、氏の論考にあって要点となるのは、この浄書作業の一般的性格において見出されるねじれた二重性が、書かれた文章そのものの内容、意味の次元とのかかわり合いの中で筆跡による二つの外皮のようなものとしてあらためて再定義されること、そこからさらに、ナボコフの評論に寄り添いつつ、この二つの外皮──、まずい筆跡、下手くそな文字とアカーキイの書く見事な筆跡、《真直な書体》との対比が、「半纏」と揶揄の対象ともなる古ぼけた外套と新たに仕立てられた立派な外套との対比のあいだで類比関係を結び、最終的にアカーキイという人物を着衣を奪われた裸形の人間、寒気を帯びた剥き出しの生の形象として捉えること、このような論述の流れが導き出されることになる(つづく「バートルビー」を論じる章がこの視点を補強しつつ、論点は最後の「ブヴァールとペキュシェ」を論じる段階で鮮やかに転回して、寒気ならぬ一種陽気な「邪気」を「筆耕たち」の系譜に見出して終えられることになる)。
 わたしたちの文章がアカーキイの浄書作業に見出そうとするものはこの原文と複写との二重の関係であると同時に、それがアカーキイという人物のおこなう行為の次元における反復をかたちづくるものであるという点にある。外套との類比を指摘することよりも、ここではまず、浄書作業が外套という物的な対象とはことなり、アクションの次元に見いだされるものだというごく凡庸な事実を指摘しておきたい。
 アカーキイの浄書作業は、それが草稿と清書という二つの文書のあいだでの物的な重なりとズレの中にその結果を見出されるものなのだとしても、そのような逆接的な関係を生み出した当の書く行為にもまた目を配っておいてもいいだろう。それは原文にしたがい、これを忠実に模倣しようとする従属的な転写の行為ではあるが、しかし同時に、文字が連ねることばのなりの次元でこれを凌駕していなければならない。いっさいの創意は禁じられているが、と同時に同じ条件のもとで、原文を超えるものであることも命じられているような行為。アカーキイがみずからに課すこの特異な書記行為にまつわる喜びと情熱は、そのような二律背反的で逆接的な性格をもっている。あるいはこう言ってよければ、その書くことの模倣の行為はつねにある圧政的な権力関係による影響をこうむっているとも言えるだろう。

女による命名

 プラトンの『国家』において描かれる模倣(ミメーシス)論において特徴をなすこととして、そこにまず、権力関係と位階的な秩序による順序づけといった下図の存在を指摘することができるだろう。真理という王のいる場所から徐々にくだって位置を定められることになる各階のミメーシスに、それに見合った序列がもうけられる。椅子なら椅子というイデアから椅子づくりの職人のミメーシスが生じ、その半面をだけ描くことのできる画家たちのミメーシスがこれにつづく。最後のもっとも隔たった場所、《真理から遠ざかること第三番目》の末席に詩人たちのことばによるミメーシスが追い払われる。わたしたちの議論においては、具体的には芸術のミメーシスが取り扱われているこのプラトンの考察は、それが真理という権力と序列の圏内で語られているかぎりで資するところがあるもののように思われる。
 『外套』の冒頭付近にそえられたアカーキイ・アカーキエウィッチの生誕と命名にかんする逸話に再注目をしておこう。

 アカーキイ・アカーキエウィッチは私の記憶にして間違いさえなければ、三月二十三日の深更に生まれた。今は亡き、そのお袋というのは官吏の細君で、ひどく気だての優しい女であったが、然るべく赤ん坊に洗礼を施こそうと考えた。お袋はまだ戸口に向かいあった寝台に臥っており、その右手にはイワン・イワーノヴィッチ・エローシキンといって、当時元老院の古参事務官であった、この上もなく立派な人物が教父として控えており、また教母としては区の警察署長の細君で、アリーナ・セミョーノヴナ・ビェロヴリューシコワという、世にもめずらしい善良温雅な婦人が佇んでいた。そこで産婦に向かって、モーキイとするか、ソッシイとするか、それとも殉教者ホザザートの名に因んで命名するか、とにかくこの三つのうちのどれか好きな名前を選ぶようにと申し出た。「まあいやだ。」と、今は亡きその女は考えた。「変な名前ばっかりだわ。」で、人々は彼女の気に入るようにと、暦の別の箇所をめくった。するとまたもや三つの名前が出た。トリフィーリイに、ドゥーラに、ワラハーシイというのである。「まあ、これこそ天罰だわ!」と、あの婆さんは言ったものだ。「どれもこれも、みんななんという名前でしょう! わたしゃほんとうにそんな名前って、ついぞ聞いたこともありませんよ、ワラダートとか、ワルーフとでもいうのならまだしも、トリフィーリイだのワラハーシイだなんて!」そこでまた暦の頁をめくると、今度はパフシカーヒイにワフチーシイというのが出た。「ああ、もうわかりました!」と婆さんは言った。「これが、この子の運命なんでしょうよ。そんなくらいなら、いっそのこと、この子の父親の名前を取ってつけたほうがましですわ。父親はアカーキイでしたから、息子もやはりアカーキイにしておきましょう。」こんなふうにしてアカーキイ・アカーキエウィッチという名前はできあがったのである。

 三度の提案と八つの候補をすべて拒否して母親が自分の息子に名づけた名こそがアカーキイ・アカーキエウィッチであったという事情が語られている。ここでは三点にだけ着目しておけばよいだろう。その名が父親の名の正確な転写であるということ、また、名(アカーキイ)と父称(アカーキエウィッチ)とのあいだにもある種の鏡像的な転写が見られるということ、そして、その命名が教父や教母をさしおいて母親によって行われたということ。この挿話からは、浄書作業のもつ模倣的な二重性の性格がアカーキイの命名においても働いていることがたやすく見て取れるであろうし、アカーキイの姓であるバシマチキンの由来となったとされる「バシマク」(短靴)というある種滑稽でごくつまらないものと父称一般のもつ立派なものとが、短絡しつつもねじりあいながら結びついているさまを読み取ることもできるだろう。草稿と清書とのあいだの模倣の二重性の関係が、父親と息子とのあいだの名の移動と、名と父称とのあいだでの反復と、この二つの様態における重なり合いとして一つの名のなかに表現されている。そこでここからは、アカーキイの浄書作業が行われる以前に、彼の母親が息子の命名に際して、すでに一つの模倣を行っていた──、事がらをそのように見ることも可能であるだろう。ある種の反復(模倣行為)を事とするというアカーキイ・アカーキエウィッチの浄書行為が、すでにそれじたい、母親の行為(命名)における反復の対象としてあらかじめ規定されていたということ、むしろ、アカーキイ・アカーキエウィッチは仕事や趣味の対象として浄書行為におけるなにがしかの反復の諸対象をもつというよりも、彼の出生以前に規定され運命づけられていた模倣という行為そのものを反復の対象としてもつ、そのように言っても差し支えないかもしれない。
 母親の行為を模倣するというアカーキイの特徴的なしぐさを、テキストの中から一例だけ拾っておくことにしよう。息子の命名に際して三度の拒絶をもって応えた母親の姿は先ほどの引用文の中に示しておいた。この拒絶は、しかし母親の意識にとっては《天罰》のごときものとして、むしろ他者のほうからの一種の拒絶として経験されてもいるだろう。この他者からの拒絶という母において体験されたできごとは、息子アカーキイにおいても類似の状況において反復されている。

 翌る朝はやく、彼は署長のところへ出かけていった。しかし、まだ眠っているという話だったので、あらためて十時に行ったが、またもや「お寝みです。」といわれた。十一時にまた行ってみると、今度は「署長は、留守です。」との話。そこでまた昼飯どきに行くと──玄関にいた書記たちが、いっかな通そうとしないで、どんな用があるのか、何の必要があってきたのか、いったい何事が出来したのかと、うるさくそれを問い糺そうとした。

 母親における三度の命名の拒絶という事態は、外套強奪の処置を警察署署長に嘆願するために本署へ訪れたアカーキイに対して、やはり同じく三度の面会拒絶で応える官吏との応対の場面において繰り返される。母親とアカーキイとの行為の局面における模倣の関係はここでも見やすいかたちで例証されているだろう。

 模倣の対象として模倣(行為)をもつということ、わたしたちはそこに、『ドン・キホーテ』における遍歴騎士のあのこの上なく真摯な喜劇を思い重ねることもできるだろう。すでに廃れてしまった騎士道物語という文芸ジャンルにおけるミメーシスをあらためてじしんのミメーシスの課題とするという点で、ドン・キホーテはアカーキイ・アカーキエウィッチの偉大な先行者となるであろうし、『言葉と物』のフーコーが語るとおり、ドン・キホーテの冒険の行く末が、書物となりすでに人口に膾炙し始めたじしんの冒険の物語をなぞるに及んでは、表象のミメーシスはそこにみずからの限界とドミナンスとを同時に発見することになり、その点につきまた、アカーキイ・アカーキエウィッチのある種単性生殖的、独身者的に自足した孤影の一つのモデルを見出すこともできるだろう。
 ただしここでは、ドン・キホーテとアカーキイとのそのような並行性であるよりも、両者のあいだの相違のほうに注意を向けておきたい。また、アカーキイの浄書行為それじたいが模倣された対象をもつ以前にすでにある別の由来をもつ模倣の対象であったという事実を指摘しておくとともに、この二つの模倣、由来をもつ模倣と由来となった模倣との相違にも注目をしておきたい。先ほどプラトンの模倣論に目配せをしておいた理由もそこにある。
 わたしたちの観点からは、アカーキイの母親による命名=模倣は、真理(ないし座標軸上の基準点)との関係づけにおいて、プラトンの模倣論の裏面ないし余白の箇所で、その固有の配置図を描くものであるように思われる。アカーキイ・アカーキエウィッチという名(+父称)とバシマチキンという彼の姓とのあいだには一本の断層が走っているだろう。

 (……)この官吏の姓はバシマチキンといった。この名前そのものから、それが短靴(バシマク)に由来するものであることは明らかであるが、しかしいつ、いかなる時代に、どんなふうにして、その姓が短靴(バシマク)という言葉からでたものか──それは皆目わからない。父も祖父も、あまつさえ義兄弟まで、つまりバシマチキン一族のものといえば皆が皆ひとりのこらず長靴を用いており、底革は年にほんの三度ぐらいしか張り替えなかった。

 その名の起源がどこまでさかのぼることができるのか、その詳細がどんなものであったのか、今となっては「皆目わからない」、ただその姓が「短靴(バシマク)」に由来し、その起源の命名行為の痕跡をだけ今に伝えるこのバシマチキンという姓は、古代ギリシャイデア論ないし模倣論が設定するような序列の隔たりの中で、それがいかに滑稽で取るに足らない対象に由来していようとも、アカーキイの名がつけられた時点から見て、より近く起源のそばにあり、より忠実に転写を行っているものとみなしてよいだろう。より近くといい、より忠実にというのは、それ(バシマチキンという姓)が序列の隔たりの中で、その起源の意味なり訳合いなりを(ここでは「短靴」という指示された対象を)この現在と現地とに運搬するという役割をのみ果たそうとしていることが確かだからである。ここでの転写行為は原文に対して安定した従属の姿勢を保っている。それが詩人のミメーシスからさらに降って、真理から遠ざかること第何番目にくるのかは明らかではないにせよ、ともかくはこの姓は模倣論が構成する序列の中のある不定の場所のどこかにその席を占めうる資格を確かに有している、とは言えるだろう。(『外套』における「靴」のテクスチュアルな連関についてはのちにもう一度触れる機会もあるだろうから、すこしだけ心に留めておいてもらいたい)。
 このバシマチキンという姓の模倣論的な位置の測量可能性に対して、アカーキイ・アカーキエウィッチという名の命名に見られるような模倣ないし反復は、起源から測定されるべき距離や序列といったものを撹乱させ、あるいは無化し、王や父親といった権力者たちの表象のもとに集められるべき真理の力を閉鎖回路の内部で内攻させるようにして、これらのものからその命名という本来の働きを奪うことになるだろう。もはや父親が命名=模倣の場に直接かかわることはなく、母親の行う代理の命名行為に際してわずかにその名義を貸し出すのみの存在の希薄さのうちにじしんの零れ落ちた影響力を見出すばかりであろう。アカーキイ・アカーキエウィッチという名は模倣という真理の活動に対するパロディの名であり、命名行為そのもののパロディでもある。
 母親によるパロディとしての命名=模倣、父の名の歪像を名の上で生みだすこの母の模倣をこそアカーキイの浄書行為は模倣する。わたしたちのこの小文においては、アカーキイの浄書にかんしては以上の点を確認するのみで追求をいったん停止することにしよう。アカーキイの浄書が対象として二つのものをもつということ、その二つのものが相互に交換不可能な不均衡を両者のあいだで実現しているということ、また、この不均衡が行為の次元から生じているということ、そこから、由来となる行為(模倣)と由来をもつ行為のさらに二つの区別が生じていること、そして、この二つの異なる位相での行為の区別は真理やイデアのごときものとして仮想視しうる対象(個別の原文に対する、大文字の原文のごときもの)の次元へとふたたび引き寄せられ、相互の識別を不可能にするようなかたちで混じりあうということ、つまり、母親とアカーキイ、「気だての優しい女」と九等文官とが父親の名をはさんで互いにきわめてよく似た姿勢を取り、きわめて近しい位置に立つということ──、そこまでの事がらを確認することでここでの論述を止めておくことにしよう。わたしたちはアカーキイの生において描かれる反復の次の形態へと目を向けておかなければならない。

外套

 写字生アカーキイ・アカーキエウィッチは何を行うか?という問いに対しては、それを一言で言い表すことは意外に難しいことに気づくだろう。ここまで見てきた文脈から言って、彼は浄書作業をつうじて模倣を行う、ひとまずはそう言うことはできるだろうが、ではじっさいに彼は何を模倣しているのだろうか?、と問いかけを重ねてみれば、真摯に答えようとするならばその答えにはふたたび模倣の一語をもってするよりほかないだろう。アカーキイ・アカーキエウィッチは模倣を模倣する。個々の文書に書かれたなにがしかの文字の連なりは確かに浄書行為の目的とする直接的な対象ではあるものの、ここまでの流れで見てきたように、この模倣の営みにはそこに至れば行為が完全に終結するという目標となる到達点があらかじめ失われてしまっているだろう(模倣は模倣を模倣する、模倣された模倣はさらに別の模倣を模倣し……)。真理が表象の圏域でかたちづくっていたはずの堅固な階梯の一段いちだんは今や知らぬ間にすっかり踏み抜かれてしまっており、ここに一人の九等官が、迷路と化した距離の隔たりの中でペテルブルクの冬の路頭に彷徨いはじめる。
同じ形式で別の問いをあらたに一つ立て直してみよう。アカーキイ・アカーキエウィッチは何をもっているのか? この問いにもまた、ひとまず、即座にシンプルな回答を与えることができるだろう。アカーキイ・アカーキエウィッチは外套を所有する。この点につき、事がらの伸長を少しだけ追ってみることにしよう。

社会的な象徴物としての「外套」

 わたしたちはアカーキイ・アカーキエウィッチの行う浄書作業を、彼の生を持続させることを可能にするかけがえのない糧の摂取の継続、あるいはいっそ、反復する心臓のはなつ拍動のようなものとして捉えることもできた。この糧の摂取、書くことにともなう心音の持続に対して、ゴーゴリのテキストにおいてその反復が停止(ないし別の要素をもつリズムへと変換)する瞬間を捉えて、前掲渡部直己の批評はここでも、われわれにとって価値のある炯眼を示してくれている。

 そのまま人目に晒せばもの笑いの種ともなろう草稿文字と、これにくるまれた言葉の中身(意味)との関係が、ここで、みすぼらしい「カポート」とアカーキーの身体との関係にあたるのだとみれば、どうなるか。そしてまた、その中身をより美しく被い直すことに「浄書」の意義があるのに反し、アカーキーには久しく、我が身を立派にくるみ直す「外套」が欠けていたのだとすれば?(……)「浄書」こそがありうべき「外套」の代補だったのだ。それゆえ、「外套」着用の夢が現実味をおびるにつれ、正確無比なこの「筆耕」がすんでのところで誤写を犯しかけ、待ちに待った晩にはもう「ペンを取ろうとも」せぬその至福の一刻、彼はまさに、草稿と浄書の二種の文字列を目前にするかのように、新旧の衣服を「つくづくと眺め」くらべているのである。このとき、「外套」への夢と実現の過程は、それじたいが、「浄書」の悦びにたいする一種の反復=模写なのだとみることができる。

 渡部氏のこの優れた知見に対してはあらたに付け加えるべきことはほぼ無い。アカーキイの裸の身体に対して模倣の二種の様態がコントラストを湛えながら覆いかぶさるという点、さらにはこの模倣が、事態の進捗の過程にあって代理(「代補」)的な接続をかたちづくるという点(さらに言えば、浄書=外套という「反復=模写」の連接が、つまるところ、アカーキイの恋愛や性的な欲求との接続を「代補」し、テクストの上でじかに、これを人物の「心理」ならぬ小説のことばの「道理」として実現するという点)──、渡部氏によるこの指摘が、わたしたちの議論の文脈にとっても無視しえない説得力をもっていることを再確認しておこう。
 「外套」はゴーゴリのテキストにあってどのようなものとして現われることになるのか。まずは、外套の新調に必要な費用をまかなうために節約をはじめたアカーキイの暮らしぶりを記述する作家の文章を読んでおこう。

 正直なところ、こうした切りつめた生活に慣れるということは、彼にとってもさすがに最初のうちはいささか困難であったが、やがてそれにもどうやら馴れて、おいおいうまく行くようになり、毎晩の空腹にすら、彼はすっかり慣れっこになった。けれど、そのかわりにやがて新しい外套ができるという常住不断の想いをその心に懐いて、いわば精神的に身を養っていたのである。この時以来、彼の生活そのものが、何かしら充実してきた観があって、まるで結婚でもしたか、または誰かほかの人間が彼と一緒に暮してでもいるかして、今はもう独り身ではなく、誰か愉快な生活の伴侶が彼と人生の行路を共にすることを同意でもしたかと思われた──しかも、その人生の伴侶とは、ふっくらと厚く綿を入れて、まだけっして着ずれのしていない丈夫な裏をつけた新調の外套にほかならなかった。

 「結婚」や「人生の伴侶」といった語が読まれるこの記述において、欲望の代補としての外套という渡部直己的な『外套』観は、ここでもやはり説得的なものとなっているだろう。わたしたちとしてはここでは、この引用文中に見られるように、胃の空腹を充たす代わりとしてアカーキイが外套の幻影によってこそ《精神的に身を養っていた》という点に着目をしておきたい。アカーキイの浄書行為がビオスとしての彼一個の生を模倣という反復のうちに貫いていたとするならば、彼の外套は獲得が目指されるべき物的な対象として、いわばゾーエーとしての幻影的で社会的な生を貫く反復を行使している、そのように見ることが許されるのではないだろうか。精神的なものであり、貧しい下級官吏の経済的な所有関係の現在を反映してもいる「80ルーブル」のこの外套を、ごくごく素朴に、社会的な象徴として認めておくことにしよう。わたしたちの単純な視線は、ゴーゴリの短篇小説『外套』における「外套」を、作家やこれを読む多くの読者たちとともに、経済的な所有関係や19世紀帝政ロシアにおける貧民の社会的に収奪された状況を文学的な表現によって象徴するものとして読むことになるだろう。あらためて言うまでもなく、『外套』とは、外套をもたない者が苦労して新しい外套を手に入れた矢先に、この外套を何者かによって無慈悲にも奪われ、手を差し出すべき義務をもつ者たちによっても見放されたあげくやがて命をも失い、ついには幽霊となって回帰し、ふたたび外套を、死後に奪い返す、そのような(あるいは、それだけの)物語である。「外套」は作中人物のおかれた状況と彼を見舞う運命を象徴していると同時に、作品の内実がどのように読まれてしかるべきかという一意的な意味合いをあらかじめ告知する象徴としてもある。
 象徴としての外套、あるいはアカーキイの社会的身分の分身としての外套が、二着のもの、新しく仕立てられた立派な外套と「半纏」と揶揄されるぼろぼろの外套とで二重に並べられ、この並行性がさらに草稿と浄書との二重性とも並行するという点は、もはやあらためて確認するまでもないだろう。

ジュネの「バルコン」

 「外套」同様、ある種の衣裳が象徴的な役割を果たしている文学作品として、ここで唐突ではあるが、ジュネの戯曲「バルコン」を思い返してみてもいいかもしれない。ジュネの戯曲において、いわゆるコスプレによるサービスを提供する娼館(「幻想館」)にやってくるお客たちがその個人的な嗜好によって選ぶことになるコスチュームとは、それが「裁判官」に身を擬したものであれ、あるいは「司教」や「将軍」の装いであれ、いずれも革命の擾乱の渦中で瓦礫の下に埋まることになる当のモデルたちの不在を埋め合わせるものとして選ばれ、身にまとわれるものとしてあった。一篇を通じておそらくジュネの思惑としては、そこに、個々の人物の死すべき定めと対照をなす衣裳や象徴そのものの絶対的な不壊性といったものの虚構化が賭けられており、この企みからはわたしたちもいくばくかの恩恵を引き出しえると信じる。ここではくだくだしい論述を抜きに一息で結論だけを言わせてもらえば、「バルコン」における衣裳の象徴性はそのプラスティックな展性に即応して、これに象徴を託すものに対しては絶対的な優位にあるものとして見ることができるだろう。より端的に言えば、衣裳は象徴としてその中身を埋めるだろうあれやこれやの人物の不在を肩代わりするというより、むしろ衣裳にとっては、これらの人物の完全な抹消、死をこそ、それのみを、必要としているということだ。浄書行為の内実において見ることのできた逆接的な不均衡が、「バルコン」のコスプレ衣裳を介した象徴の被いと中身との関係において、不滅のものと死とのあいだの隔たりを生む最大限の差異を引き起こしている、そう言ってよい。
 ここで問いを繰り返しておこう。わたしたちが先ほど仮設した問いは、アカーキイ・アカーキエウィッチは何を所有するか?、そのようなものだった。それに対して最前は、アカーキイは外套を所有すると、そう答えておいた。ジュネの「バルコン」をここで簡単に参照したことによって、わたしたちは、この答えにじゃっかんの訂正を加えなければならない可能性が生じていることに気づいている。
 それが社会的なものであるのか、あるいは文学的な表現としてあるのか、または純粋に修辞的な使用にとどまるのか、いずれを問わず、象徴を象徴たらしめている最低限の要項として、それは二重化の働きのうちに、象徴を託す事項に対してはこれの現実的で具体的な相にはいっさい触れることがない、むしろ、そのあらゆる意味で物として充実する存在に対して、これを一種の不在のうちに留め置く、そのような一般的な性質を挙げることができるだろう。よって、問いに対する答えは変更されなければならない。アカーキイ・アカーキエウィッチは外套を所有するが、また同時に、アカーキイ・アカーキエウィッチは外套を所有していない。アカーキイ・アカーキエウィッチは外套を「持たない」。しかし、アカーキイ・アカーキエウィッチは外套によって所有されている(「持たれている」)。外套こそが、アカーキイを、ある時なかった物を手に入れる機会や、また別の時にはそれを手放したり失うことができるという可能性の諸側面において所有している。アカーキイが外套を持つとは、彼が外套によって持たれているかぎりにおいて、その場合にのみ、このように言えるところのものとなるだろう。
 アカーキイの幽霊的な身分とは、実在に対して象徴が強いるこの賦課により、厳密に記号論的に規定された不在を象る形態でもあるだろう。警官によって首根っこを取り押さえられたと思えば、盛大なくしゃみを浴びせて相手をひるませ、あるいはその口から死臭ふんぷんの吐息を吐き出しもする、アカーキイ=幽霊のこの奇妙にも生臭い振る舞いや現存ぶりは、それが死やこの地上からのまったくの抹消といった事態によって導かれたものなのではなく、ある奇妙に捻じれくれた様式のもとではあるものの、確かに、象徴によって捕らわれたものとしての実在/不在の二重に逆接した彼の生の一つの様態を表現しているものとして見ることができる。

 所有の(非)対象としての外套にかんする論述はこのあたりで止めておこう。アカーキイの生の軌跡をごく限られた視点から再注目しようとするわたしたちのもくろみとしては、ここですぐに次の視点に移りたいところではあるが、その前にもう少しだけここでの記述を続けておきたい。物的な対象としての外套の意義を見たからには、ここではついでに、『外套』における「靴」という物品がになう働きについても一瞥を与えておくことにしよう。

片方だけの靴

 アカーキイ・アカーキエウィッチの姓バシマチキンが「短靴(バシマク)」に由来するものであるという点は、先ほど引用したゴーゴリの記述によってわたしたちもすでに確認済みである。この名を読むわたしたちの感性が格別に刺激されるのは、それが人物の姓名の由来として多少奇矯な部類に属するものであるという理由からだけではない。靴(shoes)という物が本質的に二個で一組をなすものである点こそが、ここでテキストを読むわたしたちの感性をより強く刺激する理由であるように思われるのだ。
 靴がそうであるようにこの二個で一組の形態をかたちづくる物品の、いわば主題的な展示会としてあるような文学作品として、わたしたちはたとえば、ここにヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』を思い出すこともできるだろう。詳細は省かざるをえないが、そこでは、時計の長針と短針や折り畳み式のポケットナイフ、裁縫や繕いもののための二本の編み棒やハサミといった、文法的に複数形で表現されるべき物品がテキストの紙面に溢れかえっており、この主題的に同型のものとみなしうる物品の集合が、二本の足による歩行という人物の振る舞いにも合流していき、一篇の細部を超えて作品の大きな意味の次元をも静かにざわめかせていたことを思い出してもいいだろう(むしろ、作品の一般的な意味での了解可能な次元が、テキストの細部に満ち溢れたこれら物品の主題論的で了解不可能なざわめきによってこそ魂を得ていたと、そう言ってもかまわないだろう)。
 二つそろってはじめて一つのものとして用をなすという靴のこの一般的な性格は、もちろん、この小文でここまで見てきた浄書行為や外套といった対象がになってきたものと同じものとして読むことができるだろう。ゴーゴリの記述が読み手に喚起するイメージの中で、たとえば本来靴が被うべき足元に身をまとうべき外套が近々と寄りそい、あまつさえ、後者が前者を覆おうとすらする奇妙な光景が見られることにもまた注意しておいていい。(《「いやだめでがす。」とペトローヴィッチはそっけなく言いきった。「何ともしょうがありませんよ。まるっきり手のつけようがありませんからねえ。冬、寒い時分になったら、いっそこいつ(外套)で足巻でもこさえなすったらいいでしょう。靴下だけじゃ温まりませんからねえ。》)。外套と靴との近縁性がここにも確認することができる。
 靴は左右にそろったおのれじしんのあいだで鏡像的な転写を行うだけではなく、この靴のあいだに不均衡を導きいれることによって裂け目をつくり、この裂け目において写字や外套とのあいだにも模倣の関係をつくりだす。写字や外套がすでにそれぞれに固有の次元で「模倣の模倣」という捻じれた関係性のうちにあったとすれば、靴はそこに、「模倣の模倣を模倣する」という捻じれた関係を新たにもう一つ、つくり出していると言えるだろう。
一対の光景をゴーゴリの記述の中から取り出してみよう。

 (……)こうしたすべてのものをアカーキイ・アカーキエウィッチは、何か珍しいものでも見るように眺めやった。彼はもう何年も、夜の街へ出たことがなかったからである。彼はものめずらしげに、ある店の明るい飾窓の前に立ちどまって一枚の絵を眺めた。それには今しも一人の美しい女が靴をぬいで、いかにもきれいな片方の足をすっかりむきだしにしており、その背後の、隣室の扉口から、頬髯を生やして唇の下にちょっぴりと美しい三角髭をたくわえた男が顔をのぞけているところが描いてあった。アカーキイ・アカーキエウィッチは首を一つ振ってにやりとすると、まためざす方へと歩きだした。

 アカーキイ・アカーキエウィッチはまったくとり乱した姿で家へ駆け戻った。こめかみと後頭部にほんの僅かばかり残っていた髪の毛はすっかりもつれて、脇や胸や、それにズボンが全体に雪だらけになっていた。宿の主婦である老婆は、けたたましく扉を叩く音を聞きつけると、急いで床から跳ね起きて、片方だけ靴を突っかけたまま、それでもたしなみから肌着の胸を押えながら、扉を開けに駆け寄った。

 場面の類似をあらためて指摘しておいたほうがよいだろうか。アカーキイの前に現われる二人の女(一人は絵の中に、もう一人は生身で)、一人は今しも片方の靴を脱いだばかりといった風情にあり、もう一人は慌てて身づくろいしたために片方だけしかこれを履けていないといった様子にあるが、いずれも足元の装いを不均衡にくずした恰好で場面に捉えられている。二人の女の様子に類似したイメージが共有されているだけではない。ここには双方の足元の様子に相応しい不均衡が、双方のあいだでも繰り返されていることに気づくだろう。《彼のいる下宿の主婦で七十にもなる老婆の話を持ち出して、その婆さんが彼をいつも殴つのだと言ったり、お二人の婚礼はいつですかと訊ねたり、(……)》、アカーキイの同僚にそう揶揄の引き合いに出されもする≪七十にもなる老婆≫と、文字通り画餅に類する≪一人の美しい女≫とが(「半纏」のようなくたびれたものと新調されたばかりの外套のような立派なものとが)、夜会の場面をはさんでアカーキイの道行きの往路と復路とで、反復的で明瞭なコントラストのもとにイメージの異同をかたちづくっている。図式的に整理してみよう。この類似したイメージの不均衡な反復は、反復される要素(女)そのものの中にも(不揃いの靴として)不均衡をもっており、さらには、この二つの反復、足元での反復(a)と人物の転移としての反復(b)を超えて、外套や浄書行為という作品の別の反復(c)へも連携の糸を延ばしているだろう。事態に対してはあらためて、「模倣(c)の模倣(b)を模倣する模倣(a)」という込み入ったかたちでの表現を求めているのではないだろうか。
 作品の細部の奥まった場所に現われるこの模倣の形象(c)が、ではそれとして何に向けてじしんの意義を有しているのかという点については、再三繰り返しているようにここでも渡部直己の指摘にならい、それがアカーキイの性的な欲求や恋愛への希求を表現するものだという点を再確認しておけば足りるだろう。ここに取り急ぎ靴と外套との類縁性を指摘しておいた次第である。

幽霊

 前々節の最後にも触れたアカーキイの幽霊についてここで手短に述べることで、『外套』を巡るわたしたちのこの堂々巡りのような文章を終えることにしよう。とは言っても、論述の要点はここまでの流れの中でほぼ語りつくしてしまってもいる。
 もはやくだくだしい手順を踏むまでもないだろう。幽霊とはここまでその生の諸相を追ってきた『外套』の主人公アカーキイが、しかしでは、実のところいったい何者であるのか?という問いに対して答えを与えるような契機としてある、一種の仮のサインであるだろう。アカーキイは行為する、ある特異な様式と方途で。アカーキイは所有する、ただしそれがもう、単なる所有の対象だとは誰にも言えないようなある特異な物を。同様にアカーキイは実在する、しかしその生が死後の生と見分けがたく絡み合ったルブナンの反復的な様態でもって、彼は、冬のペテルブルクの街に偏在する。幽霊が帰って来る。反復は彼一個の生をはるかに超えて、アカ−キイの死後の実存にまで届き、さらに広く、あたうる限り遠くまで、その影響を届かせようとしているだろう。≪(……)かくて、あらゆる方面から、九等官あたりならまだしも、七等官の肩や背中までがしばしば外套を剥ぎとられるので、すっかり感冒の脅威にさらされているという愁訴の声がのべつに聞えてきた≫。「感冒」=模倣のパンデミックな脅威が、ペテルブルクの市民たちの日常生活における一般性をではなく、存在の具体的な普遍性において、そこに集う一人ひとりの個人の生をことごとく貫きさって、最大規模の反復をここに開始する。……ゴーゴリのこのごくささやかなテキストをそのように読むことは、さすがに牽強付会のそしりをまぬかれないだろうか。最後に長めの引用をして、ひとまずこの文章を終えよう。

 若い官吏どもは、その属僚的な駄洒落の限りを尽して彼をからかったり冷かしたり、彼のいる前で彼についてのいろんなでたらめな作り話をしたものである。(……)しかし、アカーキイ・アカーキエウィッチは、まるで自分の目の前には誰ひとりいないもののように、そんなことにはうんともすんとも口答え一つしなかった。こんなことは彼の執務にはいっこうさしつかえなかったのである。そうしたいろんなうるさい邪魔をされながらも、彼はただの一つも書類に書きそこないをしなかった。ただあまりいたずらが過ぎたり、仕事をさせまいとして肘を突っついたりされる時にだけ、彼は初めて口を開くのである。「かまわないで下さい! 何だってそんなに人を馬鹿にするんです?」それにしても、彼の言葉とその音声とには、一種異様な響きがあった。それには、何かしら人の心に訴えるものがこもっていたので、つい近ごろ任命されたばかりの一人の若い男などは、見様見真似で、ふと彼をからかおうとしかけたけれど、と胸を突かれたように、急にそれを中止したほどで、それ以来この若者の目には、あたかもすべてが一変して、前とは全然別なものに見えるようになったくらいである。彼がそれまで如才のない世慣れた人たちだと思って交際していた同僚たちから、ある超自然的な力が彼をおし隔ててしまった。それから長いあいだというもの、きわめて愉快な時にさえも、あの「かまわないで下さい! 何だってそう人を馬鹿にするんです?」と、胸に滲み入るような音をあげた、額の禿げあがった、ちんちくりんな官吏の姿が思い出されてならなかった。しかもその胸に滲み入るような言葉の中から、「わたしだって君の同胞なんだよ。」という別な言葉が響いてきた。で、哀れなこの若者は思わず顔をおおった。

 ≪「わたしだって君の同胞なんだよ!」≫というアカーキイの言葉のこの響きを、胸のもっとも深い場所で受け止めておこう。彼を馬鹿にする同僚たちがそう信じきっているようには、彼とそうでない者とのあいだに違いなどいっさいない。そこに違いがあるとすれば、アカーキイは、彼らが言う意味での違いなどどこにもないということを知っていたという点においてだけだ。同僚たちが信じている同類のあいだでの小さな相違などが問題なのではない。ましてや認識が問題なのでもない。≪同胞≫たちの世間話や≪属僚的な駄洒落≫が成立する以前に、その底となる土台の次元で、≪同胞≫たちを仮止めする連帯の紐はすでにばらばらに寸断されたものとしてのみ見いだされることになるはずだ。ことごとく切断するこの反復の力の中に身を晒して、寒気に身震いし、じしんをいつでも二重の自乗に模倣させ、分身を持ち、存在を不在と共有する者、彼アカーキイこそが、事態を誰よりも深く生き、その時なお、≪「わたしだって君の同胞なんだよ!」≫という叫びを叫ぶことができるだろう。アカーキイの生の反復は、確かにそのようなものであったはずだった。