コミスタ10日目



 本の表紙にする絵と扉絵が描けた。(「扉絵」っていうのかしら、表紙と本文のあいだにある最初の方のあのオマケみたいなページ。正式にはなんて名称なのかはわかんない)。名前おもっくそバレとーるけど、まあぜんぜん問題ない。いちおう検索かけてリアルにつながりそうな情報と紐づいてしまってないか確認したけど、無にひとしかったよね。(大阪で金属製品を作ってる会社の社長さんと同姓同名だったよ。おれも会社立ち上げたろかしら。精密部品をがっちり加工したろうかしら)。前に興味本位で作るだけ作ってみたツイッターのアカウントが検索結果に出てたけど、もう解除しちゃってるし関係ない。唯一フォローしてたガチャピンのその後の情報は気になる。……ならない。「誰からも庇護を受けず、誰からも尊重されず、誰からも興味を持たれ」ない、そんな人間がマンガをシコシコ描いてるよってことです。一人のアカーキイ・アカーキエウィッチが21世紀の日本の隅っこにも、こうして確かに生息しているよってことです。
 表紙のペン画みたいなタッチの絵は小松崎茂に……、ではなく、さいきん読んだばかりの西村ツチカの単行本(『かわいそうな真弓さん』)の絵に触発されてる。マンガの評論家ではないから自分のことばに責任なんか取る気はないし、他に適当な言葉も見当たらないから言いっぱなしちゃうけど、西村さんって人はまあ天才だよね。絵柄とか物や人の造形のレヴェル以前に、引いた線一本がもうすごく魅力的だ。あんなに楽しそうで踊ってるような線はとてもじゃないけど真似できないわ。ナチュラルボーン・マンガ家みたいな人だと思う。第一作品集の『なかよし団の冒険』には高野文子が「コマ割り好きだよ」って応援のことばを寄せてるけど、西村さんの引く線の伸びやかさは高野さんの引く線の大らかな感じともよく似ている感じがする。二人の絵を見ていて感心するのは、たとえば机でも建物でもいいんだけどフリーハンドで直線を引かなきゃならないような場面で、自分だったら慎重にかまえるあまりガタガタに萎縮して線がブルブルになって目も当てられないものになってしまうか、あるいは、行ってこいで一息にシャっと引いて後から引けた線の具合を(占いの結果でも見るみたいにして)確認するかするというような状況で、だけど二人の描く絵からはそんな感じはまったくしなくて、双方ともどうも相当ゆっくり線を引いているように見えるってことで、そしてあんな感じの柔らかい線が引けて、これはほんとすごいと思う。まあ、世代の違う二人の天才が互いに友愛の挨拶を送りあってるということで、すごくワクワクする。
 そういえば、『かわいそうな真弓さん』の表題作になってる同名の連作短篇は高野文子の「田辺のつる」をちょっと思い出させるような作品で、つまり両作とも一人の人物の中で老女の中身と若い女(幼女)の外見がギャップをかたちづくっているところが作品のキモになっているってところで、西村さんの「かわいそうな真弓さん」の物語は高野さんの「田辺のつる」を時間軸にそって薄く引き伸ばしたようなかっこうになっていて、そこにロリコンみたいな作家偏愛のモチーフだとか若い孫息子みたいな「田辺のつる」にはなかった視点人物を引き入れて厚みを加えている感じがする。
 自分のマンガの表紙絵が影響を受けているのは『かわいそうな真弓さん』のカバーを外した下のイラストで(これまた本のこの部分の正確な呼び名がわからない)、これは西村さんの前の単行本の作品に出てたヒロジらしき女の子が不思議な生き物だとか物品に囲まれてるといった絵で、とてもガロっぽいんだけどすごくポップで賑やかな印象もあって一発で魅了されてしまった。こんなにかわいらしくてちょっと不気味なところもにおわせるような魅力的な絵はとても真似できないんだけど、二色刷りとはいえペンのタッチのニュアンスだけでここまでおもしろい絵が描けるのかととても感心したし、だったら即刻自分でもペン画風の絵を描いてみなきゃならないと思った。いい影響はばんばん受けたほうがいいに決まってる。結果、出来た絵は当然下手くそなものだったけど、技量の差なんかよりも見ているヴィジョンが別次元だなと痛感した。作家その人が自作に描いている「ねむり姫」のあの「青木さん」のような過剰なイマジネーションをもった人なんだろうなと思った。自分には決定的に欠けているところだ。
 「扉絵」の方はシンプルにいこうと考えてたんで二人のアカーキイだけを立ち絵で描いたみた。歩き姿の方のアカーキイは子どものころから馴染みのある、描いていても手が自然にそう動くといったラインの手塚風の絵で、亡霊アカーキイの方はちょっとジョジョ立ちっぽくかっこつけてポーズを取ってもらった。これはちょっとやりすぎた感じもあるかもしれない。手塚ミーツ荒木って感じだろうか。
 これでもうアカーキイを描くのは最後になるかもしれないと思うとちょっとさびしく感じるところもある(気分と余力によっては、オマケみたいな遊びのページを作って悪ふざけしてみようかなとも考えてる)。8月からマンガ描き始めて2ヶ月以上、毎日あたまのどこかで気にしていた人物だ。ゴーゴリの原作とはもはやほとんど関係なく、自分の絵の中のアカーキイは絵として、自分の中で独立した存在感をもってしまっている。こ、これがキャラ萌えってやつなのか!?と感じた。いや、知らんけどもね。