トーマス・ベルンハルト『消去』

 前から気になってた小説。物語の語りかたがちょっとおもしろい。人称代名詞によってタグづけされるようなかたちで自由間接話法による文章が記述されていく。≪アイゼンベルクが彼女に歩み寄った、と私はガンベッティに言った、と私はいま、自分の仕事部屋の窓辺にたたずんでミネルヴァ広場を見下ろしながら考えていた。≫(『消去(上)』p.161)。
 この文章は作品における語りの階層秩序の、目にうつるもっとも顕著でシンプルな例のひとつだ。作品全体の構成はもうちょっと複雑で、そこでは、まず視点人物である「私」の過去の行動や発言、見聞きしたり考えたりしたことがらが物語の現在時から思い起こされており、次いでこの回想のことばが「私」の物語の現在に併走するできごとの数々とともに、あらためて物語の外部の「私」による進行中の執筆によって紙面に写し取られ、さらには、この複数に階層化した「私」の記述、記述された複数の階層化した「私」が、物語と「私」にとってはまったくの外部からの匿名の声によって、三人称の「彼」と彼の物語として記述されていく。わかりやすく図式化してみると、『……と私は言った)と私はいま考えた))と私は書き記す)))と彼(フランツ-ヨーゼフ・ムーラウ)は書き記す。』という感じになる。もちろん実際の文章はこの図式のまんま書かれているいるわけじゃないけれど、すくなくとも作品の秩序が潜在的に語るところでは、このとおりの姿のものとしてそれらを抽象することができるだろう。語りの形式のなかでのこのような「私」の順列的な複数化は、一方で、反省的な主体のもつ内面性みたいなものを強くしるしづけるもののようにも思える。『消去』の「私」は怯懦や卑怯といった人格的な欠点と無縁というわけではけっしてないけれど、自身のそのような倫理的な弱みをすらパロールと内省の材料とすることで、むしろそれらネガティブなモチーフを自己の認識や信念における必須の迂回路と見定めつつ、ある決定的な判断や強い否定の意志、糾弾の表明なんかを最後的に貫徹しうる、きわめて反省的、精神的な人物としての姿を読み手の視界に明らかにする。自由間接話法による人称の、執拗と言っても差し支えないほどの徹底化と階層化は、「私」のこの内面性の揺るぎない強化を跡づけているようにも感じる。どのレヴェルにおいても「私」の自我は対象となっている言説とのあいだで齟齬をきたすようなことはないし、語られていることばの内容に対して語る主体の応答責任は最終的にどこででもきっちりと果たされている。作品の末尾で言及される、「私」の故郷である邸宅の全面的な相続放棄(消去)といった次第いっさいの決着が、否定性と媒介性とによってかたちづくられる「私」の弁証法的で起伏にとんだ性格を証立てているだろう。と同時に、この作品には、登場人物における人格性の確立だとかもろもろの価値や信念のあいだでの幾つかの倫理的な対立だとかいったこととしては回収できそうにない、すこし気がかりな綻びのようなものが存在するようにも思う。『消去』と呼ばれる作品は、どうも二つ存在するようにも読める。正確に言うと、『消去』は「二つ」あるわけではないし、二つ「ある」わけではない。それでも『消去』が二つ存在する、という言い方しかできそうにない理由は、それが単純な仕方で二つであることを否定しているのではないからだし、存在することを端的に否定しているわけでもないからだ。「二つ」あるわけじゃないからといって一つしかないわけではなく、二つ「ある」わけじゃないからといって存在しないわけじゃない。『消去』は二つ存在する、っていう言述は、だから、そこに上から抹消線を重ねたかたちでしか言明することができない。作品のことばのなかで「私」(フランツ-ヨーゼフ・ムーラウ)が何度か語るところによれば、彼には近い将来に実現されるべきある執筆のプランが存在する。≪(……)早くも私は頭の中で構想しているものがある。ひょっとすると『消去』というタイトルになるかもしれない、と私は考えた。私はその作品によって、思いつくかぎりのすべてを消し去ることを試みる。『消去』の中に描かれるすべては消し去られる運命にある、と私は自分に言った。≫(『消去(下)』p.392)
 そのタイトルがはじめて脳裏に思い浮かんだ場所がすでに「私」には思い出せなくなってしまっていること、それから、過去時制において語られる「私」の回想のことばの振幅がその日の午前にあったできごとから彼の幼年時代の思い出にまでいたる、およそ半世紀にわたる時間の内部で、リニアな時間順序に拘泥することなく語られていくということ、その点につき、作品における語り手の階層的な順列化という事態のなかで、『消去』について語る「私」がどのレヴェルに属する「私」であるかを判断する基準もまた、曖昧なものとならざるをえない。『消去』執筆の意志表明のことばは「私は言った」の「私」が語っているのか、それとも「私は考えた」の「私」に属するべき事柄なのか、あるいは、「私は記す」の「私」によってそれが再確認されているのか。仮にそれらのいずれかのレヴェルで発話の主体と発話内容とが合致することができたとしても、ではその執筆の約束がはたして本当に「私」により守られたのかどうか、そのこともまた両義的な曖昧さの領域にとどまりつづける。≪(……)葬儀の二日後、私は、私の精神的兄弟であるアイゼンベルクとこの件で話し合いをもった。アイゼンベルクはイスラエル宗教文化財団の名前で私の贈与を受諾した。私がいままた住み、『消去』を書き終え、これからも住みつづけるローマから、とムーラウ(一九三四年ヴォルフスエックに生まれ、一九八三年ローマで没す)は記している、私はアイゼンベルクに受諾への感謝の言葉を書き送った。≫(『消去(下)』p.473)
 別の箇所で「齢四十八歳の私」と明言されているところから(『消去(下)』p.234)逆算して、葬儀当日とそれに先立つ二日の模様が「私」の視点を通じて描かれる物語の現在時は、遅く見積もっても1982年に設定されていなければならない。そしてその翌年(ひょっとしたら同じ年)、「一九八三年」には、「私」はローマでその早すぎる死を迎えることになる。ベルンハルトの『消去』の物語の外延を限界づける地平としての「一九八三年」には、すでに「私」の遺作となったであろう作品『消去』が確かに「書き終え」られていたと、「私」は証言する。しかし、その言明は、ほかならぬ「私」自身のことばによって反証されようともしている。≪(……)子供用ヴィラから製酪場へ戻る途中、『消去』だ、と考えた。決まった。でもすぐに終えることのできるような話ではない。かなりの時間が必要だ。一年以上。ひょっとすると二年、あるいは三年かもしれない。≫(『消去(下)』p.446)
 それについての構想を立ててから≪もう何年も経つというのに、その作品がぼんやりとしか分かっていない≫(『消去(下)』p.447)と強く自覚している「私」にとっては、彼の生に残された時間は決定的に欠乏している。そしておそらく、ここで一個人にとっての生の時間以上にこの窮乏に限界づけられようとしているものこそが、『消去』と名指されるべき言説の実践であるのだろうとも感じる。『消去』とは、「私」によってはついに書かれなかった作品、というわけではないだろう。「私」と『消去』との結びつきは、外在的で単純な否定関係によってあるとき結ばれていたものが別のあるときには切り離されてしまった、または切り離されうる、というような手軽な分離などはけっして許さない関係なのではないか。『「私」は『消去』を書き終えた』。同じ理由から、「私」の『消去』が、ベルンハルトの『消去』では語られなかった物語の地平の彼方の、読み手にはけっして目に触れることのできないどこかで(たとえばローマに住む彼の恋人の手の中で)やすらっている、というふうに考えることもできない。また、まったくアイロニカルな視点から、「私」によってそれが書かれなかった次第いっさいが書かれているベルンハルトの作品『消去』こそが、ネガとしての「私」の『消去』なのだ、というような弥縫的な見方も受け入れがたい。繰り返しになるけど、作品は、「私」は『消去』を「書き終え」た、と明言している。≪(……)子供用ヴィラに向かう途中、私は、シェルマイアーは自分が監獄と刑務所とオランダの強制収容所に収容されていたことについて一度も語らなかったが、もし彼が口をつぐんだままなら、私が執筆を計画している『消去』の中で一度そのことについて書こう、と考えた。シェルマイアーと彼に加えられた不正と彼に対して犯された犯罪について書こう、と。(……)だからこそ、『消去』の中で、国民社会主義時代になめた辛酸について話そうとせず、時々そのことで泣くことしかしない多数の人を代表するかたちでこの夫婦のことを語り、二人に注意を向けることは、私の義務なのだ。国民社会主義的思考と行動がシェルマイアー夫妻の身に引き起こしたこと、何十年にもわたって徹底的に意識から排除されたあげくに、今日ではもっぱら黙殺されている国民社会主義の犯罪について書くのだ。≫(『消去(下)』p.330)
 「私」の来るべき『消去』においてライトモチーフとなるはずの主題がここで語られているけれど、もちろんベルンハルトの『消去』の読み手である私たちには、この構想のとおりに仕上げられた作品、もう一つの『消去』を読むことなどは、どうひっくり返っても不可能だ。「私」の書いたとされる『消去』とは言説としてかたちづくられわけでもないし、更新されていく何らかのイメージや印象の重なりを描くものでもなく、メタフィクショナルな認識の運動の軌跡を跡づけるものですらない、ましてや倫理的な諸価値や人格性の自己表現であることなども不可能な、言語の経験が自らに突きつけようとする何かとしか言えないようなものなんじゃないだろうか。その執拗な核のようなものとして残るものとてはおそらく、『「私は書いた」と私は書いた。』という底無しに繰り延べられる背進のかたちでしか言明できない何かだけなんじゃないだろうか。『……と私は言った)と私はいま考えた))と私は書き記す)))と彼は書き記す』。中空にされた三点リーダを埋めるあれやこれやの個別の発話内容のおさまるべき場のもっとも奥まったところに、いまや「私は書いた」という、考えうるかぎりでもっとも無力で、意味をなさない言明がそっと浮かび上がってくるという印象がある。作品の末尾で一度だけ書き記されるこの「私は書いた(書き終えた)」という何らの行為の内実も意味作用ももっていないしるしが、以後、読み手が作品を読み終えた直後と同時に、遡及的に作品全体のことばの宿る階層化された諸領域を自身の移動するための通廊としてこれを経巡り始める。『消去』は書かれなかった、いや、「私は書いた」と書いた。このたったの一言が、書かれなかった(読まれなかった)『消去』と「書き終え」られた『消去』とを、営みとその不在とを象る同じしるしのもとに象嵌する。つまり再び繰り返せば、二つでない『消去』があり、二つの『消去』がある。二つの『消去』があり、二つの『消去』はない。どうも、明けましておめでとうございます。