高野文子「謎」

 『モンキービジネスvol.9』に掲載の高野文子の『謎』。(正確には、ウォルター・デ・ラ・メアという作家のショートストーリーを柴田元幸さんが翻訳し、それを高野さんが自身による挿絵をまじえてあらためて「見る小説」のように再構成したもの。三者による合作みたいなこのスタイルは『火打ち箱』の場合とよく似てる)。ここでの高野さんによる作画はふつう挿絵と呼ばれているものとはだいぶ違うみたいだ。原作のお話は4ページ足らずに対して作画はその倍の8ページ以上が費やされてるし、マンガがそうするようにコマ割りによって小説の物語の流れを丁寧に再構成してはいるけれどセリフとナレーションはいっさいない。作品の構成として、まず原作のことばが読まれて、その物語のことばを翻訳しているかのような後続する作画の絵が見られ、ふたたび原作のことば、次いでまた作画、という順序の二重の展開がそこにはある。しかしそれは、単に同じイメージの異なるヴァージョンが二度繰り返されているっていうわけでもない。原作のことばがことばの力によって読み手に見せているイメージと高野文子が絵によって提示しているイメージとは正確に(それこそ翻訳みたいに逐語的に)重なりあっているわけじゃないし、かといって、挿絵みたいに隣りあってお互いの領分を踏み越えないよう慎重に並んで立っているわけでもない。だから、絵の描くイメージはことばが喚起している先行するイメージに対して、つねにちょっとだけズレのような感触を差しだしているように感じる。デ・ラ・メアという原作を手がけている作家がそこで描く物語はごくとりとめのない、いっしゅのおとぎばなしみたいな幻想譚だ。お祖母さんの住む古い家に七人の子どもたち(孫)がやって来る。彼らの両親はなんらかの理由で不在だ。お祖母さんは彼女の息子の面影を思い出させる愛すべき子どもたちと暮らし始めるけれど、ひとつだけ彼らに禁止を告げる。客用の寝室に置いてあるナラの木でできた古い箱だけはけっして開けてはならないというものだ。当然のように子どもたちはその禁止を破る。箱のふたを開けるとなぜか母親の記憶がよみがえり、子どもたちは一人また一人と毎晩のようにつぎつぎに箱のなかへと消えていってしまう。最後に残った長女らしき娘も消えて、お祖母さんだけがもとあったようにひとり家に残される。もつれあったさまざまの記憶のなかで、今やお祖母さんそのひとの姿もそこから消えていっていくようなかすかな印象を読み手に刻んで、おはなしは終わる。高野文子の作画はその物語をなぞりながらも、同時に絵のイメージのなかにことばの外にはみだすようなズレをうみだしていってる。そのズレはたぶん、描かれた人物たちのしぐさとそれに類似した対象のある種の形態によってもたらされている。ナラの木の箱のふたや扉の蝶番、砂糖菓子の入った小箱といった高野さんの作画で繰り返し描かれる開閉する性質をもった対象たちは原作のことばのイメージからそれらを念入りに、とくに選んで、絵のイメージとして結ばなきゃいけないような理由はないだろうし、また子どもたちやお祖母さんが手や腕や足をつかって体幹を軸にした(やはりこれも)開閉の動作を繰り返す様子を絵のなかにとくに着目して描かなければならない理由も、同様に、原作のことばのなかから内在的に見出すことはできない(と同時に、それらはまずことばがもたらしたイメージとまったく関係なく後から好き勝手に絵のイメージに付け加えられているとも言えない。本性の異なる二つのイメージの有り方のあいだでことばと絵とは直交でも水平でもなく、いわば斜めに交差しあっているかのような印象をおぼえる。重なりと同時に微妙なズレがある)。イメージのなかですれ違っているとも並んで歩いているともどっちともとれるこのズレをうみだす開閉のしぐさや運動が何に由来するのかは、やっぱりわからない。ただそこからは、『黄色い本』で田家実地子がめくっていた書物のページを思い出すことができるし、また「田辺のつる」の部屋の扉も思い出すこともできるし、あるいは『火打ち箱』で高野さんが製作していたペーパークラフトの、折れ線にそって一枚の紙の裏と表で立ち上がったり裏返ったりするあのふしぎな人物たちやお城の姿を思い出すこともできる。書物のページをめくったり、一枚の画用紙のなかにおいてすら開閉の仕掛けを実現してみせることは、そこでひとが何かあるイメージと出会うことを確実に約束するしぐさであるように思われるし(ナラの木の箱のなかで母親の記憶と再会するように)、また今やそのしぐさや運動じたいが、出会いを約束するだけではないイメージの純粋な対象となっているというような印象さえ感じる(たぶんバシュラール的な象徴性なんかとはひとまずぜんぜん関係なく、イメージと物質、行為と受動性とのけっして充分には混じりあわない謎めいた同居がそこにはあるような気がする)。
 高野文子の新しい連載ということで最初に想像していたものとはだいぶ違ってしょうじき驚いたけど、読んでみたらやっぱり楽しかった。期待して次の作品を待とう。