サミュエル.R.ディレイニー『バベル-17』

バベル17 (ハヤカワ文庫 SF 248)

バベル17 (ハヤカワ文庫 SF 248)

 前から気になるSF作家の一人だったディレイニーの作品を読んでみた。ひさしぶりにSF読んでみたくなったってのもある。
「バベル17」っていうのは異星人から送られてくる謎に満ちた暗号であり、地球人に向けられた破壊とテロルの符牒でもあり、と同時に、「バベルの塔」以前にもなぞらえることができるような完璧な、いっさい毀損するところのない、理想的で異郷的でもあるような一個の言語体系としてもあって、それを解明し入手することを人に強く欲望させる、そんなような複合的で象徴的なシグナルに命名された仮称。
 主人公リドラ・ウォンの活躍はこのバベル17という(敵性?)言語メディアへの(部分的な)アクセス権によって裏付けられてる(たとえば、「家」って単語を知らない者はある建物を目にしてもそれを「家」的な事物として概念の上で了解するのに、「家」を知ってる者よりも格段に手こずるだろう。任意の或る家を認識する上で、「家」を知ってる者はそれを知らない者よりも、いわば「速い」時間の中にいる。さらにディレイニーの『バベル-17』におけるSF的想像力では、この認識の速度差が身体能力にまで拡張されうる。速く認識できる者は、その分だけ速く判断し精確に動ける。というわけで、バベル17はこの優れた分節化の力において既存の諸言語を遥かに凌駕する。そしてリドラ・ウォンだけがバベル17という情報メディアにうまくアクセスできる=知を入手しうる)。若くて美貌に満ちて、そのうえ詩人としての才能にも恵まれて卓抜した知性の持ち主であり、格闘や戦術にも長けたリドラの大活躍をワクワクしながら読んでて、あ、こりゃ(攻殻の)草薙素子だねって、ちょっと思った(バベル17=データベース説w リドラ、テレパシーで目も盗みますから。九官鳥のだけど)。
 バベル17の謎(侵略者から送られてくるメッセージの具体的な意味内容の解読)を巡るこの物語の結末は皮肉が効いてる。つまり、完璧で完全な言語であると思われていたバベル17にはたった一つの綻びがあって、この、地球に現存するどんな言語にもあたりまえに含まれるごくありふれた或るひとつの語彙の位置がバベル17の言語体系ではすっかり陥没してしまっているという意表をつく盲点が、クライマックスで明らかにされることになる。バベル17の統辞法において致命的に破れた「穴」がどんな穴だったのか、それはここには具体的には書かないけど、一言語によるわれわれの言語への大掛かりなハッキング、言語システム全体のウィルス感染、とでもいったものこそがここで描かれる「侵略」の真の意味だったという事実が明るみになるというこの小説の結構はなかなかスリリング。言説の個別的で具体的な内容(イデオロギープロパガンダといったメッセージのレヴェル)が問題なんじゃなくて、言語活動のエピステーメー総体が形式的に被るハッキング行為、みたいな壮大なヴィジョンを、ディレイニーはここに用意してくれている。'66年の作品らしいけど、舞台設定とか道具立てに関してはさすがに厳しいものがあったけど(「公衆電話」、出たw、「ビーム」出たww、「カセットテープ」出たw)、こういう世界観、クライムSF観なんかは今でもふつうに、全然いけるんじゃないかと。
 ディレイニー、面白いね。もっと読んでみたい(カバーイラストもイカしてるし。リドラかっこいいよ)。