あかがねいろの瞳

闇の国々 (ShoPro Books)

闇の国々 (ShoPro Books)

 長かった盆休みも終わり昨日からまた仕事が始まっている。去年の今頃はマンガを描き始めていたはずで、まだその当時はこれからできあがってゆくものに自分でも期待してた頃だったなと思い出す。遠い目つきで思い出す。セミの抜け殻についてるあのキチン質の眼にも似た、まっさらな10円玉のような光沢性のうつろな目つきで思い出す。セミになりたい。セミになって大空をはばたきたい。大空をはばたいているところを、どこかのおっさんの撒く無慈悲な殺虫剤の毒牙にかかって7日目を見ることなく窒死したい。……あ、やっぱり嫌だな。嘘です。セミにはなりたくないな。
 この休みはよくマンガを読んでいたけど、今週は締めみたいな感じで最後にとっておいた大物BD『闇の国々』(ブノワ・ペータース作/フランソワ・スクイテン画)を読んだ。併録されてる原作のペータースさんのインタビューで彼は「フランソワは1頁描きあげるのに一週間を費やします」と語ってるけれど、なるほどそりゃあんだけ稠密な線を描き込むにはそんだけの時間はかかるよなとすんなり納得いったし、一週間同じ原稿に向き合いつづけるということのすごさに、自分にはそれは真似できないだろうとおののくと同時に、でも一週間を一枚の原稿に費やしてもいいのか!って目から鱗が落ちるようなところもあった。その話からなんか新しい希望のようなものをいただいた気分がする。一週間で一枚、なるほどね、と。
 銅版画みたいな繊細な筆線による細密な描きこみが、この架空の世界の風景にものすごい魅力を与えていると感じる。作画担当のスクイテンはまるで実物の風景をほんとうに見てきたかのように不思議な景色だとか建造物の様子を紙の上で再現している。『闇の国々』のシリーズはこれまで12作作られてるらしいけどこの単行本ではそのうちの3作が収められてて、読んでると自分でもこの世界を訪れたいという気持ちをすごくかきたてられる。トールキンの「指輪物語」みたいな、かっちりと構築された世界観をもつタイプの作品を愛するひとなんかにはたまらないものがあるんじゃないかと思う。架空の地図を眺めてそこに描かれた絵だとか聞き覚えのない地名から想像力をはばたかせることのできるひとなんかはこの世界に一発で魅了されるはずだ。収められている3作を読んだかぎりだとファンタジーっぽい要素はあるんだけど基本的な雰囲気は歴史改変ものっぽいSFに近い感じがある。ジュール・ベルヌの作品は子供のころ児童向けに読みやすく翻案されたやつを何本か読んだことがあるだけだけど、月世界旅行とかあんな感じの冒険譚みたいな雰囲気。で、実際ジュール・ベルヌ本人がコミックの世界に生きる実在の人物として登場したりする。ジュール・ベルヌだけじゃなくてオーソン・ウェルズをモデルにした人物だとか、たぶん知ってる人には有名な実在の画家なんかも登場するし、世界観も現実世界のパラレルワールドみたいなところがあったりする。現実と虚構の世界はそんなふうに物語の中で混じりあうだけじゃなく、たとえば「傾いた少女」のエピソードでは、描かれたマンガと撮影された実写の写真とが紙面の中で混じりあっていて、物語を語る説話行為のレベルでも同じような混交状態を作り上げている。こういう混交状態はこの書物の中でとどまるだけじゃなく、ジャンルとしてのコミックの体裁をこえて、さらにはまったく別の表現ジャンルにも及んでいるみたいだ。異質な要素を含む物語内容、同じように異質な語りの諸形式、もっと異質なジャンル間での相互補完(あるいは反補完的振る舞い?)、みたいな複数の視点と混乱した作品内での距離感が作り出す混交状態、そこらあたりがこの作品にそなわってる現代性っぽいところなのかなとは思う。いろんな意味でここでは複数のものであることの権利の行使において作品が形づくられることになるのかな、とか思ったしそこがおもしろいとも感じた。スクイテンの描く線と絵がまずなにより見ていて楽しいし気持ちいいって点はこの前も同じような感じで書いたんで、そこはもう強調しない。まあ余裕で度肝を抜くくらいにものすっごい画力だよ(個人的には、雪景色に包まれたモスクワかどっかをモデルにした都市の一角を描いた「傾いた少女」での一枚絵の表現に圧倒された。去年描いた「外套」で自分にはどうしてもうまく描けなかった絵を、こんなふうに他人が実現しているのをまざまざと目にして、ちょっと嫉妬すら覚えてしまった。ああ、おれはこんな絵が描きたかったんだよ!って涙目になりそうになった)。未訳になってるシリーズ残りの作品もぜひ刊行してくださいと切に希望する。まだこの作品を読んでない人は早よ書店に走れ。走って転べ。転んだら笑って立ち上がれ。

むかしの曲。alloy mentalで「Fire」。