薔薇園の案内人

 ドゥルーズ『シネマ1』読書中。ここ最近何ごとにつけどうも集中力が持続せず、5ページ分くらい読んだらすぐに気が散りはじめてしまって、気づいたら音楽聴いたり益体もない考え事に放心したみたいになってしまい、いっこうに本を読み進める呼吸が整わない。論じてる内容が自分には難しすぎるってのもあるけど、結局今週いっぱいかかって半分くらいしか読むことができなかったよ。のろのろ読むのの何がいけないって、いま読みつつある行分にかかりきりになってしまってその場ではなんとなく当の内容を理解したつもりになってても、ちょっと後から振り返ってみればそこまで辿ってきたはずの論述の大きな眺めがまったく頭に残っておらず完全に迷子になってたみたいなところで、今週はまさに悪いパターン入ってしまった。これはどこかでもう一度読み直しもある。無駄すぎる時間の使い方だ。
 黒田硫黄の『大日本天狗党絵詞』を読み始めたら気持ちがそっちにも散ってしまったってのもある。久しぶりに読み返してみたんだけどやっぱおもしろいマンガだよなあ。シノブは今でもどこかで幸せに暮してるだろうか? どうか楽しく生きていて欲しい、とか柄にもなく登場人物に感情移入してちょっと感傷的な気分にもなった。そういやこの作品の終盤に登場する変な生き物「テング」の存在は、三好銀の「私家版「噂鳥について」」(『海辺へ行く道 そしてまた、夏』)を読んでたときには思い出すことができなかった。鳥の体からヒトの足が生えているという独特の造形からしてこのテングと噂鳥はともにとてもよく似たイメージで描かれてるんだけど、物語のなかでの設定とか説話的な働きの面では両者は対照的な役割をになっているように見えて、そこらへんの相違もなんとなくおもしろいものに感じる。つまり三好銀の噂鳥がどこまで剥いても芯に辿り着かない玉ねぎの皮みたいにして複数の層をなすフィクションとしての言説の内部にのみその姿を現わすことになるのに対して(UMAっぽい未確認状態のうちに)、黒田硫黄のテングはといえば、噂鳥同様にけっして人目を引くことはないけれどでもほんとうにこの日本に実在するものと設定されており、ある種の信念とかイデオロギーとかいったかたちで作品内の世界観に装填されているさまざまな文脈における広義の同一性の幻想=フィクションを瓦解させるような恰好で姿を現わしている。そこにはフィクションを厚くまとうものとそれを無慈悲に引き剥がすものというような明瞭な対比がある。たとえば三好銀の噂鳥が描かれることになった時代背景とか歴史的な状況とかいったもんが仮に存在するのだとしたら、『大日本天狗党絵詞』に現われたこのテングという存在にもそれなりの背景的な事情が見出すことができるのかもしれない。黒田硫黄は新装版のあとがきで自作の制作された状況を振り返って、そこではっきりと、オウムによる地下鉄テロ事件からの同時代的な(無意識の)影響の不安を述べていたりもする。おそらく作品外の現実が虚構としての作品に流れこんでくるさいのふたつの別種の力の経路がそこには引かれているようにも思われて、大きな崩壊に巻き込まれようとするさいにフィクションの取りうるふたつの別種の態度があって、当然また、この崩壊とか危機的な状況の及ぼす現実的なふたつの別種の反省意識みたいなものがあったりもするんだろうと思う。作品のもろもろの内在的な連関(最終的には「魂」とかとしか名づけようのないもの)を最大限救い出すという留保を付したかたちでなら、そんなような反映論みたいな仕事も見てみたい気がするけど、誰かそんなことを書いちゃいないもんかな。「鳥人種についての生態観測、あるいはひとつのアポカリプス」みたいなタイトルでいっちょどうだろう?
 『大日本天狗党絵詞』を読み終えたら、これもまた久しぶりに『あたらしい朝』とか『茄子』とかも読みたくなってしまい、こっちもパラパラと頁をめくりはじめた。これじゃあいつまでたっても『シネマ』の方がぜんぜん進まない。おもしろいんだから仕方ないんだけど、そういやこれは偶然だろうけど、三作通じて作品を読み始めてすぐに目に飛び込んでくる対象の共通性みたいなものがあって、それは「カラス」(『大日本天狗党絵詞』)、「茄子」(『茄子』)、「手提げカバン」(『あたらしい朝』)それぞれの描写に見られる紙面を黒く滲ませるベタ塗りの視覚的印象だったりする。(「茄子」にかんしてはカラー頁での着色原稿による描写だからちょっと保留が必要かもだけど)。このあたりの印象をきっかけにして、そこからここまで書いてきた高野作品についての文章での着眼点との相違を手がかりにして、何かあらたにおもしろいこと書けないかなあとかぼんやり考えている。可能ならまた毎日楽しくなるなとは思うけど、こればっかりは自力じゃどうにもならない。作品からこう、ギリっと強く厄介な何かを押しつけられる感じがないと、自分からは何ひとつ動き出すことはできないよ。その何かを我慢して待つしかない。
 
 懐かし音源。balilで「rosery pilots」。静かな曲。