本年最後の購入書籍。ジュネットの新刊も無事年内に入手することができた。良かった良かった。

 ランシエールの本は以前から気になってたのに後回しにしていたものをようやくって感じ。シェフェールのは絵画論らしくて読んでもおそらくさっぱりだろうけど、このあいだ読んだ『映画を見に行く普通の男』が素晴らしかったのでこれはもはや読まずにいるわけにはいかない。フーコーのカントにかんする著作はなんとなく。久しぶりにフーコー読みたいなあって思ったとき、いろいろまだ読んでない本をみつくろってその中でじゃあ何にしようかなとあれこれ考えたすえに、あらかじめ議論の前提になる文脈のレベルである程度は内容についていけるだろう著作ってことでカントについての本を選んでみた。今週はたまたまカントの純粋理性批判を読み直していたんだけど、タイミング的にもうまく合ってるし、カントを読み終えたらフーコーのこの本に目を通してみようかなと思ってる。一週間かけても岩波文庫の三分冊になってる一巻目を読み終えることができなかったんで、まだだいぶ先の予定だけど。
 そんなわけで今週は眠い目をこすりながら仕事終わりにカントをよちよち読み直していたんだけど結局読み切ることができず、ここに感想を残す材料がそろわなかった。そのかわりに、久しぶりにまた絵を描いてそれがさっき仕上がったんで、その画像をのっけとく。年賀状代わりってことで。

 一年ぶりに怨霊アカーキー先生に登場していただいた。タイトル『蛇革をまとったアカーキー』、または『田植えをする老人』(あれ? 田植えじゃないよ! ぜんぜん違うよ! これは中腰で物を拾おうとしてる姿勢だよ!)。へび年にちなんで蛇革のアイテムを何点か散らしてみたわけだけど、こうして画像であらためて確認してみるとあんまりうまく効果が出てなくてちょっと残念だ。手元の生原稿で見るともうちょっと雰囲気あるはずなんだけどなあ。う〜ん。ポーズも不自然に見えるんだけど、ちょっと一言弁明させてくれ。アカーキー・アカーキエヴィッチの顔を中心にして手足がそっから生えてるように見えるでしょ? それはあたかも、胴体の真ん中に突如顔が現れたかのようには見えないか? そこであたらめて、蛇の姿といったものを想像していただきたい。蛇、それもとぐろを巻いて鎌首を持ち上げている蛇の姿である。そう、おわかりいただけただろう。とぐろを巻いておのれの胴の中心で顔をこちらに向けている蛇、くちなわ、それこそがこの絵のイメージの隠された参照元なのであった。ポーズの破綻に見えたものにも実はこうして隠然たる根拠といったものが確かに存在していたわけなのであった。……こじつけ乙。当初の予定ではバックに毛皮のコートをバサッと翻させて気持ちばかりのアカーキー要素を演出しようかと思ってたんだけど、すぐに毛皮の表現は自分の能力じゃ無理だって気づいてプランを変更せざるをえなかった。がんばって試してみたらもっと面白い絵になったのかもだけど、どう考えても自分の画力じゃ不可能っぽかったし、挑んでみてもそれだけで三日や四日はかかりそうな気がして、断念した。機会があれば挑んでみたい表現ではある。
 そんなこんなで今年のブログ更新も本日まで。正月休みは何も考えず、好きな本ばっかり読んでのんびり過ごそうと思ってる。それでは良いお年を!